2011年3月9日水曜日

東京スナック飲みある記


閉ざされたドアから漏れ聞こえるカラオケの音、暗がりにしゃがんで携帯電話してるホステス、おこぼれを漁るネコ・・。東京がひとつの宇宙だとすれば、スナック街はひとつの銀河系だ。酒がこぼれ、歌が流れ、今夜もたくさんの人生がはじけるだろう場所。


東京23区に、23のスナック街を見つけて飲み歩く旅。毎週チドリ足でお送りします。よろしくお付き合いを!

第6夜:江東区・亀戸6丁目

日本映画界が斜陽の坂を転げ落ちはじめた1970年代前半、スケバンや娼婦の役で場末のスクリーンを一瞬輝かせて消えていった女優・歌手に、潤まり(潤ますみ)がいる。名盤解放同盟が“解放”して広く知られるようになった1975年の『新小岩から亀戸へ』(山口晴男・作詞)は、盛り場を流れ歩く女のやさぐれ演歌。主人公は「新小岩から亀戸へ、亀戸から北千住へ」と16歳にして流れゆく。そのあと鶯谷から赤羽、王子、池袋、そして新大久保から中央線の三鷹、立川まで辿り着いてみたら20歳を過ぎて、「いまでは青く目をそめた、酒場の女」という、東京スナック・アンセムとも言うべき珠玉の一曲だが、この曲の(ささやかな)成功は、「新小岩と亀戸」という絶妙のチョイスに寄るところもかなりあると思われる。

亀戸・・と書いただけで、そこはかとない場末感が漂ってくると思ってしまうのは、東京人の過剰反応か。東京に縁のない人間にとっては、なんで亀戸が「かめど」ではなく「かめいど」なのかすら不可解だろう。

いかにも最近のJR駅前再開発っぽい雰囲気の亀戸駅北口前

亀戸だけに、駅前広場にはカメの噴水とか・・

江東区の文化センターまで
「カメリアプラザ」なんてオヤジギャグ

江東区の北東部にある亀戸は、もともとのどかな農村地だったようだが、明治時代から紡績工場をはじめとする各業種の工場が進出。昭和の初めまでには農業が完全に姿を消し、一大工場地帯となった。労働人口の急激な増加で亀戸は大いに栄えるようになるが、反面「江東ゼロメートル地帯」と呼ばれる原因となった、工場の地下水汲み上げによる激しい地盤沈下、さらに大気汚染、騒音など、住民は劣悪な生活環境に苦しめられることにもなった。

江東区北部をほぼ東西に横断する総武線の、亀戸駅から北側には亀戸天神があり、その背後にはかつて玉の井と並ぶ銘酒屋街(私娼を置いた店)があった。明治時代から待合、料理屋、芸妓屋が集まる三業地として栄えたあと、戦後は赤線地帯になっていた。いまでも亀戸駅に降り立つと、北口は真冬でも長蛇の列の亀戸ホルモンなど有名店もあって賑わっているが、かつて大工場街だった駅南エリアは、かなり侘びしい風情である。

駅を降りて南に向かってすぐ、片側4車線の京葉道路がクレバスのように動線を分断し、歩行者は歩道橋を延々歩かないと南側の亀戸6丁目に渡れないという、最悪のアクセスが致命傷となっているのだろうか。そのさらに南にできた都営新宿線・西大島駅のほうに、ひとの流れは移っていて、京葉道路と首都高小松川線に挟まれたこの一帯は、ちょっと歩いてみるだけで、時代に取り残された感がひしひしと伝わってくる。

いっぽう取り残された感のある亀戸駅南側から、京葉道路に出たところ

1970(昭和45)年の同じ場所。都電が走っていた。
背後の『七福セールズ』はいまも健在
写真提供/ なつかしの鉄道写真館

かつてセイコーの時計を製造していた第二精工舎工場跡が、
いまでは巨大ショッピングタウンに

第二精工舎と亀戸6丁目飲食街を隔てる道路には、都電が走っていた。
その名残の線路と車輪が、亀戸緑道公園という
遊歩道になった片隅に保存されている

6丁目界隈はエスニック人口も多いのか、
本格的なアジア料理店がたくさんある

こちらは「素食」、ベジタリアン・チャイニーズの店

イスラム教徒のために、店頭でハラルフードを売るインド料理店も

次々とマンションや共同ビルに建て替えられていくあいだに、
古びたスナックが取り残されている

それが夜になると、そこここに灯りがともって様相一変。
しかしひとどおりは少なく、閑散とした雰囲気


亀戸6丁目の中心部には、『サウナ国際』と看板を掲げた、おそろしく時代を感じさせるサウナが営業中だ。この巨大な建物の裏側は『東京大排档』( 1F)と『九龍城飯店』( 2F)という、とても東京とは思えない雰囲気の中国料理店になっているが、ほんの9年ほど前まではここに『クラブ・レディタウン』があった(2F部分)。ホステスの在籍数100名を超え、生バンドも入った本格的なグランドキャバレーであり、それが核となって周囲には一大パブ、スナック・エリアが広がったと思われるが、近所のママさんのお話によれば「15、16年前にバーテンが売上金を奪われて殺された事件があって、まだ未解決なんだけど(城東警察署は検挙率が悪いからねぇ・・by常連客)、そんなこともあって閉店しちゃったのよね」。

亀戸6丁目のランドマーク的存在、サウナ国際

いまも立派に24時間営業中。建物の脇にはスナックの看板がずらり

サウナが入る国際ビルの反対側には、その名も「九龍城」の大看板

夜ともなれば、もう香港にしか見えてこない

ここにかつてグランドキャバレーの『クラブ・レディタウン』があった
写真提供/ イシワタフミアキ

大工場と下請けの町工場、グランドキャバレー、犯罪、そして戦後、亀戸北側に赤線があったころと前後して、こちらに青線(非合法売春地帯)があったという、いかがわしき性臭・・いかにも昭和の場末感覚を凝縮したようなエリアが、その痕跡を残しながらいまだ細々と生き延びていることが、すでに奇跡的である。

昼間に一周しただけでは、ただ古民家と新築マンションが入り交じった無個性な街にしか見えない、しかし夜のとばりが降りたころに再訪してみれば、そこここにひっそりと看板を掲げる店が見つかる、隠れスナック・エリア。ホルモンだの餃子だの、安物料理ブームに浮かれる北口の陰で、今夜もひっそり徒花を咲かせる亀戸6丁目界隈を、今夜はハシゴしてみよう。

来週は人形町を飲み歩きます。

もとは青線として営業していた店もあったという、
『佳』のある一角。いまは半分ぐらい閉まっている

今夜の一軒目は、情報収集を兼ねて居酒屋『佳』へ。かつて第二精工舎(セイコー)の巨大工場があり、いまは『サンストリート亀戸』なる大規模商業施設になったブロックと、亀戸緑道公園になった遊歩道を挟んだすぐ裏道。コの字型に飲み屋が並ぶ、亀戸6丁目の中でもいちばん古びた一角がある。コの字の奥に店を開いてもう25年という、事情通の女将さんによれば、「このへんがむかし青線だったとこよ。うちも2階に行く”隠し階段”があったからね」という、スリリングな歴史を秘めた場所。「あたしが店を開いたころは、店を開いたらすぐ満員だから、席が空くまで隣のスナックで待ってもらったり。レディタウンのホステスたちが、ドレスの裾をたくしあげて「お腹空いた〜」ってオニギリ食べに走って来たり、楽しかったわー。ヤクザもたくさんいたけど・・」とのこと。長いことこの商売をしてきて、「今年がいままででいちばん店が潰れてる」という不景気だそう。おまけに「亀戸はいまでもボッタクリの店もあるから、注意しなさいな」とありがたい忠告を受けて、いざ飲み歩きに出発。
居酒屋・佳 江東区亀戸6-21-8


目の前で天ぷらでもなんでもどんどん作ってくれて、
「勘定がめんどくさいから」、どれだけ食べても値段はいっしょ。
ママのうしろに「俺も入れて!」と立った常連さんは、
「ここの2階に居候してるんだよ」。ほんとですか!

店内には日本舞踊が得意なママの写真がそこかしこに。
「ポスターもあるんだ!」と驚いたら、「お客さんが京都の風景の
ジグソーパズル持ってきたんで、それにあたしの写真(後ろ姿)を
切り抜いて貼ったの」ですって

亀戸南公園を越えて首都高小松川線(その下が旧中川と隅田川を結ぶ運河の竪川になる)に向かうと、右側に見えてくるのが『居酒屋トシ子』。居酒屋ではあるが、店内にどーんとレーザーカラオケ・システムが鎮座する、”飲んで食べて歌える”便利な店だ。

『トシ子』と『アモール』が並んで営業するビル1階部分

割烹着がよく似合うトシ子ママ(左)。
昔はドレス姿でレディタウンに勤めていた

岩手県湯本温泉出身のトシ子ママは、もともとキャバレー・レディタウン出身。亀戸に居を構えてもう40年以上、「もうすぐひ孫が生まれるよ!」というお歳でありながら、「店は元旦しか休んだことない」という働き者。おかげでこの界隈にいまでは4軒も店を持っているという勝ち組でもある。カウンターもいいけど、座布団を敷いた小上がりで、壁に貼られた巨人軍選手のポスターや皇室カレンダーをちらちら見つつ、ママの手料理を堪能しつつ、レーザーカラオケの歌本をぱらぱらやってると、なんだか異様に落ちついてくる。ここはほんとに2011年の東京なんだろうか。
居酒屋トシ子 江東区亀戸6-6-9-104


小上がりにはいまもちゃんと稼働するレーザーカラオケ・システムが。
もちろん最新の通信カラオケも完備

鮮やかな写真付きの豊富なメニュー。障子に猫の写真が貼ってあるのは、
「穴が空いちゃったのを隠すため」

友達の実家にお呼ばれしたような・・ちがうか?

土俵入りの横綱に皇室カレンダーに・・見てるだけで飽きない

カラオケシステムに貼り込められたシールは「孫がやったの」

装飾に女性らしさがにじみでる


お手洗いの床にまで猫のシールが!
「あれは孫じゃなくて、あたしが貼ったの!」

『トシ子』のとなりに派手な電飾で目立っているのが、『ファンタスティック カラオケ・スタジオ サロン アモール』(長すぎ!)。実はトシ子さんが大家で、こちらが店子という関係。正午から午後5時までを『生き活きサロン アモール』として「昼カラ」営業。夜は6時から12時までカラオケスナックになるという、2毛作スタイルのお店であります。

アモールの昼間。1000円で歌い放題の良心的すぎる価格

アモールの夜間。飲み放題、歌い放題で2500円(女性2000円)、
これまた良心的すぎる価格

「カラオケスナックはいっぱいあるけれど、フランクに
自由に恋を語るような……そんなサロンがあったら」という
岡崎マスターの思いがこめられたドアの貼り紙

オープンしたのは去年3月、もうすぐ1周年だ。オーナーの岡崎昇さんは、もともと貿易会社を興し、企業人として活躍してきたが、「わたしも71歳になったんで、少しゆっくりしようと思って」、この店を大ママ・英子さんと共同経営で始めたそう。みずから書いた開店チラシのコンセプトによれば——
「当サロンは、中高年のまだ現役で若いお兄様、お姉様方が楽しく、明るく、ほがらかに一日を過ごしていただけるようにとの願いから3月19日にオープンします。・・・談話室でお茶やコーヒー、紅茶を飲みながら、世間話、悩みごと(法律相談)、お孫さんに関すること、その他諸々の相談事(そうじ、買い物、リフォームなど)の仕事を引き受けたり、あるいは地方の名産品や世界の知る人ぞ知る逸品を取り寄せたりと云った場になれればと思っています。また、カラオケの好きな人は臨場感あふれるスピーカー完備の当サロンで歌ったりと、自由に一日を楽しんでもらうためのサロンです」
というわけで、あくまで中高年のためにカラオケと談話の店をスタート。最初のうちは談話がドリンク代込みで500円、昼カラオケがドリンク代込み1000円というシステムだったが(安すぎ!)、「ここは音響も亀戸いちばんでしょう」というだけに、歌自慢で大繁盛、ぜんぜん談話ができないという状態に陥り、いまでは昼間っから元気な歌声が響いている。
ファンタスティック カラオケ・スタジオ サロン アモール
江東区亀戸6-6-9 サンハイツ亀戸1F


もとはクラブだったのを居抜きで借りたという、シックで高級感漂う店内

音響システムの良さに惹かれて来店するお客さんも多いとか

夜の担当は歌自慢のチーママ昭子さん

オーナーである岡崎昇マスターは昼の営業担当。
「この店が第二の人生の舞台」と意気込む

かわいらしい装飾があちこちに

ラオスのプアソーン首相の会見通訳を務めた
(右が首相、中央が岡崎マスター)

「年を取ってもいきいき楽しめるようにと、
”生き活きサロン”という名前を考えました」

亀戸6丁目のランドマークとも言えるサウナ国際の1階に店を開くのが、『スナック静』。北京出身の静ママと、中国人ホステスさんたちが陽気に出迎えてくれる健全店だ。

サウナ国際の入口脇という好立地のスナック静(綠の看板)

昼間も休まず、カラオケ営業中

店内はボックス中心の落ちついた雰囲気

静ママは20年前に来日。最初は錦糸町の居酒屋や定食屋で働きはじめたが、友達に誘われてスナックに勤めるように。1995(平成7)年にこの店を開いたというから、今年でもう15年目のベテランだ。
中国にはスナックなんてなかったので、「最初は大変でしたよー、お客さんのエッチなお話とかに、ぜんぜんうまく反応できなくて」。それでも持ち前の負けん気と、「うまくいくか不安だったから、ずっと昼は12時から4時までアルバイト、夜は7時から夜中2時まで店やってました」というバイタリティで、いまでは6丁目でも古株になった。
開店したころは「日本語ができない中国人ホステスを使ってても、たくさんお客さんが来てくれたけど、ここ4、5年でこのあたりもすっかり寂しくなりましたねえ」と言いつつ、いまでは昼間も店を開けてがんばっている。
スナック 静 江東区亀戸6-23-2 国際ビル1階

今年で来日20年、「もう、たまに北京に帰っても、
街の変貌に毎回驚くばかりです」という静ママ

中国にいたころはバスケットボールの選手だったという
長身・スレンダーな容姿にファン多し

フレンドリーな中国娘の熱烈接待に、日本男児も思わずうっとり


常連さんの持ち歌をノートに記して用意しておく気配り

演歌歌手のポスターがずらりと並ぶお店の入口

「僕が初めて君を見たのは、白い扉の小さなスナック〜」と歌ったのはパープルシャドウズだったが、『静』の斜め向かいにある『小さなスナック 由美』は、ドアを開けてみればぜんぜん小さくない、35人収容、カラオケモニター6台、ピアノまで置いてあるゴージャスなスナックだった。

サウナ国際脇の、スナックが並ぶなかに『由美』もある

もとは喫茶店だったという、広々とした店内。
二次会にもぴったりの大人数対応可

ひばりファンのママならではの装飾が

毎日、着物姿で接客してくれる由美ママは、千葉県大多喜町出身。ご主人が沖縄県豊見城市出身なので、店内には沖縄の装飾とか、泡盛などがさりげなく置かれている。
最初は亀戸2丁目に店を開いて12年、それから6丁目に移って16年、あわせて今年で28年目というキャリアの持主。「おしゃべりはいつまでたっても苦手なんです」とはにかむが、歌のうまさはシロウト離れしていて、お客さんに頼まれれば「大好きな美空ひばり」をじっくり歌ってくれる。
「景気は厳しいですけどねー、20数年来のお客さんの声に後押しされて、がんばってるんですよ」という由美ママ。このへんが賑やかだったころは、トラブルの種も多かったようで、「いちどチンピラがふたり、遅い時間に入ってきてね、ビールを注いだらいきなりこっちに引っかけられたんですよ。でも、”ふざけんじゃないわよ!”って、こっちも(ビールを)引っかけかえしました」という根性の持主でもある。
小さなスナック・由美 江東区亀戸6-24-7 サンクスビル1F

『悲しい酒』を熱唱中の由美ママ

美声に酔いしれて夢心地のお客さんも

カウンターの棚には有名人とのツーショット写真がずらり

有名人の幅もかなり広い

いろんなプレゼントがあって、通えば通うほどお得な仕組み

ヒレ酒と天童よしみのいるお手洗い