相撲と花火の町、両国。駅を出てすぐ北側には隅田川沿いに巨大な国技館と、さらに巨大な江戸東京博物館。あいだに挟まるNTTドコモの高層ビル。ぜんぜん下町っぽくない一角の先に、横網町公園がぽっかりあいた空間をつくっている。
ベンチがあって、遊具があって、鳩がいて。一見ふつうの公園だが、ここはかつて被服廠(ひふくしょう)跡と呼ばれ、関東大震災で3万8000人の死者を出した悲劇の地だった。
いま、横網町公園には「東京都慰霊堂」と「復興記念館」という、ふたつの建物がある。関東大震災と太平洋戦争の東京大空襲の犠牲者、あわせておよそ16万3000体のお骨が、この場所に安置されていることを知るひとは、多くないだろう。
犠牲者のお骨を収めた慰霊堂と、大震災・大空襲の記録を収めた記念館。近代日本の大建築家・伊藤忠太によるふたつの建造物に込められた、悲劇と慰霊と復興への意志を2週にわたって探る旅。
今週は東京都慰霊堂。一般公開されていない慰霊堂内部の、16万人分の遺骨が収められた納骨堂を撮影することができた。