閉ざされたドアから漏れ聞こえるカラオケの音、暗がりにしゃがんで携帯電話してるホステス、おこぼれを漁るネコ・・。東京がひとつの宇宙だとすれば、スナック街はひとつの銀河系だ。酒がこぼれ、歌が流れ、今夜もたくさんの人生がはじけるだろう場所。
東京23区に、23のスナック街を見つけて飲み歩く旅。毎週チドリ足でお送りします。よろしくお付き合いを!
第16夜:荒川区・日暮里駅前商栄会商店街
日暮里・・と言えばまず「繊維の街」と連想されることが最近は多いけれど(ニポカジ、なんて言葉が一瞬流行りましたねえ)、もともと日暮里は「駄菓子問屋の街」としても有名だった。
戦後の日暮里駅前に統制品だった菓子を扱う露店(闇市)が立ち並んだのが、
日暮里駄菓子問屋街の始まり。1952(昭和27)年の区画整理にともない
駅北東部の一角に移転。近年では戦後の佇まいを残す“観光名所”として人気を
集めていたが、バブル期の駅前再開発事業によって、2004(平成16)年
12月に問屋街は取り壊された。写真は1954(昭和29)年の問屋街の様子
写真提供/荒川区
JR常磐線・京浜東北線・山手線、京成電鉄(本線、成田スカイアクセス線)に日暮里・舎人ライナーまで加わって、都心北東部のハブ的存在になりつつある日暮里駅。もともと日暮里とは江戸時代に「新堀」と表記されていた地で、その風光明媚なことから「日が暮れるのも忘れるほどの地=日暮里」と書いて「ひぐらしの里」などと呼ばれることもあったという。
1963(昭和38)年、諏訪台からの眺め。交通の要衝としてあった
日暮里は明治末期の頃から中小工場の街として発展。戦後は
ウエイスト産業と呼ばれる反故紙や故紙、金属屑を扱う卸売業が
圧倒的多数を占め、再生資源の加工を行う工場も数多く分布していた
写真提供/荒川区
1964(昭和39)年の日暮里駅前広場。かつては噴水が設けられていた
駅前ロータリーだったが、「ひぐらしの里再開発事業」による高層ビルの
建築と日暮里・舎人ライナーの開業によって、駅前の風景は一変している
写真提供/荒川区
その由緒ある地名を取って、終戦直後の闇市時代に端を発する駄菓子問屋街が日暮里駅東口の北側に広がっていたのを、まるごと再開発してしまったのが2000(平成12)年に始まった「ひぐらしの里」計画。竣工なった現在では、かつての昭和的風景はどこにもなく、東口改札を降りると地上40階、36階、25階建ての3棟からなる高層ビル群『サンマークシティ日暮里』なる新街区がそびえ立っている。昭和20年代後半から30年ごろの最盛期には、駅周辺に100軒以上の駄菓子屋・問屋があったという、その懐かしくもこころ躍る光景は、どこにでもあるような3本の高層ビルによって、いまや完璧に消滅してしまった。
であろう太田道灌像も、なんだか居心地わるそう
3棟からなるサンマークシティ日暮里の威容
このあたりが、ほんの少し前までは
昭和の香り漂う駄菓子問屋街だった
日暮里駅前商栄会から、サンマークシティを眺めたところ
こうして、単なる副都心っぽくなってしまいつつある日暮里駅東口の北側エリアだが、高層ビルの裏側を歩いてみると、少しだけ、在りし日の日暮里の風情を漂わせるエリアが残っている。それが日暮里駅から西日暮里駅にかけて、線路に沿うように伸びる「日暮里駅前商栄会」と呼ばれる商店街だ。
サンマークシティの高層ビルに見おろされている感のある、この短い商店街。ゆるやかにカーブする線路と、北側にある尾久橋通りに囲まれた、ヨットの帆のようなかたちをした一角に、居酒屋やラブホテルとともに数軒のスナックも営業中。そのどれもが、なかなか個性的な店である。「日暮里の駅前に位置し、区内で唯一防犯カメラを設置している安全・安心の商店街です」(あらかわ区報「荒川区商店街マップ」)でもあるらしいこの商店街の、気になるスナック2軒に今回は飛び込んでみた。
来週は江戸川区小岩を飲み歩きます。
今夜の1軒目は、商店街の中ほどに可愛らしいエントランスをかまえる『スナック 愛』。いかにも老舗スナックらしい店名だが、実は中国人の愛ママが2006(平成18)年に開いて、今年が5年目というお店。
女性らしい外観と角地で、入りやすい雰囲気の『愛』。
お隣の居酒屋『大㐂里』は、安くておいしいと界わいで評判の店。
女将さんと愛ママとは、「家族みたいなお付き合い」だそう
赤を基調にして、落ちついたなかにも華やかさが漂う店内
どうりでチャイナドレスがよく似合う愛ママは、リゾート地として有名な海南島(ハイナン島)出身。留学生として10年前に来日した。日本語学校で勉強したあと、最初に働いたのが西日暮里近くの、日本人経営のスナック。そこを辞めるにあたって、同じく退職した同僚ホステスと「一緒にがんばろう」と、自分の店を持つことを決意。「だからわたし、西日暮里とこっち(日暮里)しか知らないんですよ」と明るく笑う。
もともとは中国物産店だったという物件を、1ヶ月かけて大改装。故郷・海南島出身を含む中国人・日本人のホステスさんを揃えて開店にこぎつけたが、自分で店を持つに際しては「指名とか、同伴のわずらわしさをなくしたかったんです。働く女の子もそうですけど、お客さんも気楽に来られる店にしたかったの」。
各テーブルにはかわいらしい生花が
愛ママとデュエットでご満悦、ママが「日暮里のお父さん」
と慕う、日暮里駅前商栄会の会長さん
キャバクラやクラブみたいにガツガツ厳しく営業するのではなくて、「お客さんと友達みたいに、歌ったり、飲んだり、おしゃべりしたいんです」。夜も早い時間から席を埋める、地元の常連さんたちを見ていると、たしかにお客さんもお店の子も、もちろんママもみんな友達、大きな家族みたいに思えてくる。
お通しもラブリーでした。ちなみに『愛』という店名は、
前に勤めていたスナックのママがつけてくれたそう
スナック 愛 荒川区西日暮里2-52-6
『愛』からもう少し西日暮里寄りに歩いた先にあるのが『ピース』。クールなブルーの看板と、ノスタルジックな「ピース」の字体が印象的だが、こちらは台湾出身の春ママが2003(平成15)年に開いた、今年で8年目を迎えるスナックだ。
そこはかとなくノスタルジックな『ピース』。店名の由来は、
「日本に来て、みなさんのおかげで、すごく幸せで平和な日々を
送れてきたので、その感謝の意味を込めて」名づけたのだそう
台湾出身の春ママが来日したのは、1980年代なかばごろ、もう25年ほど前になる。初めて来た場所が日暮里で、それから「ずーっとここ、日暮里から離れてないの」。
来日して、まずは山野愛子美容室で働き、それからアクセサリー会社に就職するが、「もう年だから、お店でもやろうかな」とある日思い立ち、日本人の友達たちに助けられながら開店にいたる。それまで水商売なんてしたことなかったから、「なんにもわからなかったんで、営業許可はこう、法律はこうなのよって、北海道のお姉さん(ママの大親友)に全部、教えてもらったんです」。
最初はみんなフリー客、でもすぐに仲良くなって
しまう、不思議な磁場を持った店である
ボウリング大会を年にいちど、麻雀大会が年に
二度。クラブ活動の部室みたいだ
手探り状態でのスタートだったし、本人は「3ヶ月か、長くても1年ぐらいで潰れるかなーって思ってたの」と言うが、フリーのお客さん同士がすぐに仲良くなって、万全のサポート態勢で8年目を迎えるまでになった。
お客さんを喜ばせるイベントも盛りだくさん。このところ、
「毎週金曜日はセーラー服ナイトにしてるんです。
みんなセーラー服着るのよ!」とママさん
ママの娘さんである「いくえ」さんは、『ピース』の看板娘。
カウンターのお客さんいわく、「おれねー、この子のオムツ
替えたことだってあるんだからね!」
セーラー服姿の母娘、ママといくえさん
昼間はネイルサロンで働いているという、がんばり屋のいくえさんは、
お客さんたちに大人気。デュエットにも気軽に応じてくれますが・・
ちょっと接近しすぎたりすると・・
お母さんの厳しいチェックが入ります
やけに歌上手の多い店でもある
うれし恥ずかしデュエット・タイム
『ピース』のオールスター、左からいくえさん、
春ママ、あゆさん、チーママのトミーさん
毎年7月と12月には、浴衣とサンタクロース姿で
接客するコスプレ・ナイトもあるそうです
「よくわかんないけれど、みんな仲がよくなるの。昔からの友達みたいになって、なんにも気にしなくて、おしゃべりする感じになるんです」というのも、ママの明るい、ものすごくフレンドリーなキャラクターのたまものだろう。常連さん同士が仲いい店はいくらでもあるけれど、これだけ一体感というか、大家族の里帰り宴会みたいに盛り上がってる店って、なかなかないです。
『あづま男と浪花のおんな』(北島三郎・中村美律子)をデュエットするママ
おふたりとも絶品の歌声でした
ピース 荒川区西日暮里2-54-2