この23日からたった6日間ですが(短すぎ!)、大阪の小さなギャラリーで、小さな、でもすごく濃密な展覧会が開かれています。
前に連載などで取り上げたことがあるので、お読みいただいた方もいらっしゃるかもしれませんが、大阪在住のふたりのアウトサイダー・アーティスト/書家である、松本国三と大江正彦。ふだんは大阪・平野の「アトリエひこ」を拠点に制作活動を続けながら、最近では日本国内にとどまらず海外での展覧会に参加する機会も増えている、注目の作家です。
松本国三(1962年生れ)と大江正彦(1965年生れ)は、20代の頃より身の回りにある紙類に書く・描くことを毎日続けている。
松本は壁の日めくりやカレンダー、メモ用紙にひたすら文字を書き連ね、大江は新聞紙を色や線で埋め尽くし、らくがき帳には動物や間取り図を執拗に描く。二人とも家族が寝静まった後、夜な夜な独り書き(描き)耽り、昼夜逆転することもしばしばである。
松本の日めくりカレンダーからは、歌舞伎の演目・演歌歌手のCD・ジャニーズ・ディズニーのキャラクター・絶滅危惧にある動物などが読み取れる。繰り返し書かれるうちに文字は省略・分解・デフォルメされ、重なり合い、紙面のあちこちにうねりが生じる。
一方、大江は新聞紙を茶の間からこっそり自室に持ち込む。不透明マーカーで、段組みを美しく色分けして見開き全紙を塗り込んだり、活字を一文字ずつボールペンによる線描でびっしり埋めつくしたりに没頭し、次第に記事は消滅してゆく。
この20余年間、日々紡ぎだされてきた膨大な量の紙を前にしたとき、彼らはやはり、何かを担っているのではないかとおもう。ここから醸し出されている力強い造形性と一途で痛切なものは何なのだろう。日めくりや新聞紙といった、否応なく新しい一日の到来を告げる紙面に書き(描き)記す毎日のこの行為を何と呼べばいいのだろう。 日課でもなく、 勤行でもない。いくらか儀式めいてはいるがいたって平然と、情熱的に繰り広げられるのだ、今日も。
松本は書き終えた日めくりを破ってゴミ箱へ、大江は新聞を洋服ダンスの引き出しへ突っこんでいたが、どちらも母親によって拾われ大切に保管されてきた。
アウトサイダー・アート・ファンのあいだでは名を知られながら、なかなかまとめて作品を見られる機会がなかったふたり。このチャンスに、ぜひご覧ください。そして、画面からみなぎるパワーと、同時に存在する静かな美しさに打ちのめされてください。
松本国三(1962年生れ)と大江正彦(1965年生れ)は、20代の頃より身の回りにある紙類に書く・描くことを毎日続けている。
松本は壁の日めくりやカレンダー、メモ用紙にひたすら文字を書き連ね、大江は新聞紙を色や線で埋め尽くし、らくがき帳には動物や間取り図を執拗に描く。二人とも家族が寝静まった後、夜な夜な独り書き(描き)耽り、昼夜逆転することもしばしばである。
松本の日めくりカレンダーからは、歌舞伎の演目・演歌歌手のCD・ジャニーズ・ディズニーのキャラクター・絶滅危惧にある動物などが読み取れる。繰り返し書かれるうちに文字は省略・分解・デフォルメされ、重なり合い、紙面のあちこちにうねりが生じる。
一方、大江は新聞紙を茶の間からこっそり自室に持ち込む。不透明マーカーで、段組みを美しく色分けして見開き全紙を塗り込んだり、活字を一文字ずつボールペンによる線描でびっしり埋めつくしたりに没頭し、次第に記事は消滅してゆく。
この20余年間、日々紡ぎだされてきた膨大な量の紙を前にしたとき、彼らはやはり、何かを担っているのではないかとおもう。ここから醸し出されている力強い造形性と一途で痛切なものは何なのだろう。日めくりや新聞紙といった、否応なく新しい一日の到来を告げる紙面に書き(描き)記す毎日のこの行為を何と呼べばいいのだろう。 日課でもなく、 勤行でもない。いくらか儀式めいてはいるがいたって平然と、情熱的に繰り広げられるのだ、今日も。
松本は書き終えた日めくりを破ってゴミ箱へ、大江は新聞を洋服ダンスの引き出しへ突っこんでいたが、どちらも母親によって拾われ大切に保管されてきた。
アトリエひこ 石崎史子(ギャラリー・サイトより)
アウトサイダー・アート・ファンのあいだでは名を知られながら、なかなかまとめて作品を見られる機会がなかったふたり。このチャンスに、ぜひご覧ください。そして、画面からみなぎるパワーと、同時に存在する静かな美しさに打ちのめされてください。
大江正彦作品集『ZOO-GRAPHIC』より
松本国三『般若心経』
天音堂(あまねどう)ギャラリー http://amanedo.exblog.jp/
なんば駅から徒歩5分ほどだそうです
なんば駅から徒歩5分ほどだそうです