確実に世界唯一の廃墟・珍建築専門豪華雑誌『ワンダーJAPAN』。今号ではアメリカの巨大物件モノで参加させてもらいました。
しかし今回の目玉記事は、この夏にオープンしたばかりという伊豆の『怪しい博物館村 まぼろし博覧会』でしょう。
珍日本紀行で同じ伊豆の『怪しい少年少女博物館』が、なんと4年前に閉館した伊勢の元祖国際秘宝館の展示を買い取り、それをリミックスして甦らせたという、このご時世になんとも勇気あるプロジェクトです。
詳細はぜひ、彩度ばっちりの本書を精読していただきたいですが、元祖国際秘宝館をそのまま再現するのではなく、18禁にならないように、そして現代という時代に合わせて作り直したという、いわばリメイク・バージョン。それはそれでひとつの見識だと思うし、すごく興味あるので、正月休みに僕も訪ねたいと、いまから楽しみ。この一冊で予習してから、みなさんもぜひお正月は伊豆ツアーを! すぐ近くには『旧アニマル邸 江戸屋』など、珍スポット好きにはおなじみの施設がたくさんありますし。
2011年12月22日木曜日
2011年10月19日水曜日
大牟田のシャッター商店街にて・・
先週末、福岡でトークがあり、翌日に有志で福岡珍スポットめぐりというバスツアーを企画してもらいました。爆笑スポットから、おどろきのアート空間まで、いろいろ収穫たっぷりの一日でしたが、夕方に訪れたのが大牟田市の、その名も「年金通り」なる飲み屋街。ネーミングがすべてをあらわしてるというか・・・地味すぎて涙が出てくるような飲み屋街でした。
そのあと散策した大牟田市街は、これぞ「ザ・シャッター商店街」とでも呼びたい、あまりに悲惨な状態で、かつて三井三池炭鉱でものすごく栄えた時代があったとは、やたらに多いスナックやバーの数から想像するしかありません。そのスナック街も、ほとんどシャッター降りたままなんですが・・。大牟田というと引き合いに出されるのが、「2007年フォーブス誌で”世界のもっともきれいな都市トップ25位”に選出された」というエピソード。いったい、フォーブスの記者はどこをどう見てたんでしょうか。
「でも、おもしろい動きもあるんですよ」と、地元出身の参加者に案内してもらったのが、かつての高級グランドキャバレー(とうに廃業)空間を転用したクラブ&イベントスペース『クラブふじ』。ゴージャスな内装を完全に復活させるまでにはまだ時間がかかりそうですが、シャンデリアや壁の照明といったディテールから、いにしえの栄光が滲み出ています。
最近では「山口から福岡をパスしてこっちに来てくれるヨーロッパ人のDJとかもいるんです」とオーガナイザーが言うとおり、イベントのラインナップを見てもかなり先鋭的。気になります。
で、その彼から「いま地元でいちばんの注目株」と教えられたのが、大牟田市の現役高校生たちによるバンド「あきたこまち」。youtubeに上げられた、クラブふじでのステージを見ると、たしかにすごい! もしかしたら日本のシャグズになるかも!!!と、ちょっと興奮してしまいました。福岡市民からは「あそこ福岡だっけ、熊本だっけ?」と完全に見下されるばかりの大牟田。しかし、こうした辺境からこそ、ほんとに新しいものって出てくるんですよね! また近いうちに、今度は「あきたこまち」のライブに合わせて行ってみたいものです。
と、大牟田のことを書いていたら、ちょうどのタイミングで流れたのが「父親と長男も死刑確定へ 福岡・大牟田の4人殺害」というニュース。ご存じの方も多いと思いますが、2004年に大牟田市で起きた、血も凍るような殺人事件です。
福岡県大牟田市の母子ら4人殺害事件で強盗殺人罪などに問われ、一、二審で死刑とされた一家4人のうち、父親北村実雄(67)、長男孝(30)両被告の上告審判決で最高裁第1小法廷(白木勇裁判長)は17日、2人の上告を棄却した。3日に上告が棄却された母親の真美(52)、次男井上孝紘(27)両被告と併せ、一家全員の死刑が確定する見通しとなった。
判決理由で「現金奪取や犯行隠蔽の目的に酌量の余地はない。強固な殺意に基づく冷酷、非情、残忍な犯行で、複数の被害者が出た結果も重大だ」と指摘。「刑事責任はいずれも重大で、死刑はやむを得ない」と結論付けた。(10月17日・共同通信ほか)
道仁会系北村組組長だった当時60歳の父親と45歳の母親は、被害者の58歳の女性Aへの借金を含め6800万円以上の借財を抱え、また暴力団上部団体への上納金や生活費に困窮するなどしていたため貸金業を営む被害者Aに嘘の土地売買話を持ちかけ現金を用意させた後に、傷害致死の前科があった元力士の長男(当時23歳、母の前夫との子)を誘い込んで殺害を計画した。
長男は両親を出し抜いて被害者Aの金品を奪うため元力士の次男(当時20歳、母と父の子)を誘い込んで兄弟2人で9月16日に被害者Aの次男(当時15歳)を絞殺し、遺体に重しを付けて川に遺棄し、被害者A宅の金庫を強奪し貴金属(400万円相当)を奪って換金後に兄弟で分配した。
母親は、9月17日に長男に殺害を指示し、元力士の次男も加わって家族4人で殺害を実行することになった。同日、被害者Aに催眠薬入りの食事を取らせ次男が絞殺を行って現金を強奪した。被害者Aの所在を探していた被害者の長男(当時18歳)とその友人(当時17歳)を父親が被害者自宅近くで呼び止め車に乗せて埋め立て地に連れて行き、父親の拳銃で次男が撃ち、更にアイスピックで刺殺させた。4人は同日殺害した3名を車に乗せて諏訪川に沈め証拠隠滅を計った。
9月21日に最初に殺害された次男の遺体が発見され、母親が逮捕(父親は拳銃で自殺未遂)、更に川底から車と他の3遺体が発見された。その後次男、長男の順で逮捕された。
この事件で、被疑者一家は被害者一家に対する死体遺棄、強盗殺人および殺人容疑、銃刀法違反により逮捕された。長男は検察庁舎より逃亡し、単純逃走罪で追起訴された。
こんなことを書くのも、実はこの事件については『一家全員死刑』という衝撃的なノンフィクションが去年末に発売され、いつかブログで紹介しようと思いながら、まだ手をつけていなかったから。
「俺は殺人を楽しみ、狂い、快感すら憶えた」 (北村孝紘被告手記より) 2004年、福岡県大牟田市で起きた「4人連続殺人事件」、加害者の家族4人全員に死刑判決が下る前代未聞の事件となった。ヤクザ組長の息子に生まれ、20歳で4人の命を奪い、自らを 殺人鬼 と呼ぶ死刑囚が胸中と半生を語った戦慄の「獄中手記」
とありますが、ほんとにそのとおり、日本版シリアル・キラーの恐るべき内面(というか内面のなさ)を赤裸々に描いた、必読の一冊。今回の死刑確定は、全国ニュースではあまり報じられなかったようですが、親子4人の一家が全員死刑になるという、アメリカですらなかなかないエクストリームな猟奇事件。熟読、震撼してください!
そのあと散策した大牟田市街は、これぞ「ザ・シャッター商店街」とでも呼びたい、あまりに悲惨な状態で、かつて三井三池炭鉱でものすごく栄えた時代があったとは、やたらに多いスナックやバーの数から想像するしかありません。そのスナック街も、ほとんどシャッター降りたままなんですが・・。大牟田というと引き合いに出されるのが、「2007年フォーブス誌で”世界のもっともきれいな都市トップ25位”に選出された」というエピソード。いったい、フォーブスの記者はどこをどう見てたんでしょうか。
最近では「山口から福岡をパスしてこっちに来てくれるヨーロッパ人のDJとかもいるんです」とオーガナイザーが言うとおり、イベントのラインナップを見てもかなり先鋭的。気になります。
クラブふじ
店内に残された美しい照明
で、その彼から「いま地元でいちばんの注目株」と教えられたのが、大牟田市の現役高校生たちによるバンド「あきたこまち」。youtubeに上げられた、クラブふじでのステージを見ると、たしかにすごい! もしかしたら日本のシャグズになるかも!!!と、ちょっと興奮してしまいました。福岡市民からは「あそこ福岡だっけ、熊本だっけ?」と完全に見下されるばかりの大牟田。しかし、こうした辺境からこそ、ほんとに新しいものって出てくるんですよね! また近いうちに、今度は「あきたこまち」のライブに合わせて行ってみたいものです。
と、大牟田のことを書いていたら、ちょうどのタイミングで流れたのが「父親と長男も死刑確定へ 福岡・大牟田の4人殺害」というニュース。ご存じの方も多いと思いますが、2004年に大牟田市で起きた、血も凍るような殺人事件です。
福岡県大牟田市の母子ら4人殺害事件で強盗殺人罪などに問われ、一、二審で死刑とされた一家4人のうち、父親北村実雄(67)、長男孝(30)両被告の上告審判決で最高裁第1小法廷(白木勇裁判長)は17日、2人の上告を棄却した。3日に上告が棄却された母親の真美(52)、次男井上孝紘(27)両被告と併せ、一家全員の死刑が確定する見通しとなった。
判決理由で「現金奪取や犯行隠蔽の目的に酌量の余地はない。強固な殺意に基づく冷酷、非情、残忍な犯行で、複数の被害者が出た結果も重大だ」と指摘。「刑事責任はいずれも重大で、死刑はやむを得ない」と結論付けた。(10月17日・共同通信ほか)
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大牟田一家4人殺害事件(おおむた4にんさつがいじけん)は、2004年9月に福岡県大牟田市で発生した強盗殺人死体遺棄事件。被害者側も被告側も家族単位(被害者側は友人を1名含む)で4人ずつ、また裁判で被告である家族4名全員に死刑判決が下った特異な事例である。道仁会系北村組組長だった当時60歳の父親と45歳の母親は、被害者の58歳の女性Aへの借金を含め6800万円以上の借財を抱え、また暴力団上部団体への上納金や生活費に困窮するなどしていたため貸金業を営む被害者Aに嘘の土地売買話を持ちかけ現金を用意させた後に、傷害致死の前科があった元力士の長男(当時23歳、母の前夫との子)を誘い込んで殺害を計画した。
長男は両親を出し抜いて被害者Aの金品を奪うため元力士の次男(当時20歳、母と父の子)を誘い込んで兄弟2人で9月16日に被害者Aの次男(当時15歳)を絞殺し、遺体に重しを付けて川に遺棄し、被害者A宅の金庫を強奪し貴金属(400万円相当)を奪って換金後に兄弟で分配した。
母親は、9月17日に長男に殺害を指示し、元力士の次男も加わって家族4人で殺害を実行することになった。同日、被害者Aに催眠薬入りの食事を取らせ次男が絞殺を行って現金を強奪した。被害者Aの所在を探していた被害者の長男(当時18歳)とその友人(当時17歳)を父親が被害者自宅近くで呼び止め車に乗せて埋め立て地に連れて行き、父親の拳銃で次男が撃ち、更にアイスピックで刺殺させた。4人は同日殺害した3名を車に乗せて諏訪川に沈め証拠隠滅を計った。
9月21日に最初に殺害された次男の遺体が発見され、母親が逮捕(父親は拳銃で自殺未遂)、更に川底から車と他の3遺体が発見された。その後次男、長男の順で逮捕された。
この事件で、被疑者一家は被害者一家に対する死体遺棄、強盗殺人および殺人容疑、銃刀法違反により逮捕された。長男は検察庁舎より逃亡し、単純逃走罪で追起訴された。
(ウィキペディア)
こんなことを書くのも、実はこの事件については『一家全員死刑』という衝撃的なノンフィクションが去年末に発売され、いつかブログで紹介しようと思いながら、まだ手をつけていなかったから。
「俺は殺人を楽しみ、狂い、快感すら憶えた」 (北村孝紘被告手記より) 2004年、福岡県大牟田市で起きた「4人連続殺人事件」、加害者の家族4人全員に死刑判決が下る前代未聞の事件となった。ヤクザ組長の息子に生まれ、20歳で4人の命を奪い、自らを 殺人鬼 と呼ぶ死刑囚が胸中と半生を語った戦慄の「獄中手記」
(AMAZONの紹介文より)
とありますが、ほんとにそのとおり、日本版シリアル・キラーの恐るべき内面(というか内面のなさ)を赤裸々に描いた、必読の一冊。今回の死刑確定は、全国ニュースではあまり報じられなかったようですが、親子4人の一家が全員死刑になるという、アメリカですらなかなかないエクストリームな猟奇事件。熟読、震撼してください!
2011年10月12日水曜日
東京右半分 最終回!:永遠に眠れる森の美女
昭和通りに面した、上野の小さな雑居ビル。2階に上がってドアを開けると、そこにはおだやかな灯りに照らされて、数十人の美女が寛いでいた。小学生にしか見えない少女から、アイドル系、微熟女まで。あるものは普段着を身につけ、あるものはほとんどなにも身につけず。こちらを向いて、微笑んで。ひっそり黙ったまま……そう、彼女たちは人間ではなく、もっとも精巧に作られた人形=「ラブドール」なのだ。
台東区上野に本社を置くオリエント工業は、日本でもっとも大手の、もっとも精巧なラブドールの製造販売元である。そしてここは、上野に設けられたオリエント工業のショールームなのだ(上野のほかに大阪にも設けられている)。
オリエント工業は1977年創業。来年で35周年を迎える、業界の老舗メーカーだ。創業者であり、いまも第一線で指揮を執る土屋日出夫さんは1944(昭和19)年、横浜生まれ。もともと会社勤めから、オトナのおもちゃ屋経営に転じたという異色の経歴の持主である・・・。
今回は上野のショールームに加えて、葛飾区内にあるオリエント工業の工場内も特別に見せてもらうことができた。映画『空気人形』でも、この工場がロケ地に使用され、映画の中ではオダギリジョー扮する孤独な人形師が作業していたが、実際には明るく広々とした空間で、若いスタッフを中心に活気あふれる下町のファクトリーである。
そして、2009年9月から丸2年間にわたってお送りしてきた連載『東京右半分』も、96話目になった今週でめでたく完結。スタートするときは、正直言って毎週更新で2年間も続くものかと不安でしたが、走り出してみれば、2年経ったいまでもやりたいネタはまだたくさんあり。でも、ずーっとこうしているわけにもいかないので、これからいままでのお話を単行本にまとめる作業にかかります。そんなに時間の経たないうちにお見せできると思うので、ご期待ください! とりあえず、現在のサイトは来週いっぱいで閉鎖です。単行本をお楽しみに。
台東区上野に本社を置くオリエント工業は、日本でもっとも大手の、もっとも精巧なラブドールの製造販売元である。そしてここは、上野に設けられたオリエント工業のショールームなのだ(上野のほかに大阪にも設けられている)。
オリエント工業は1977年創業。来年で35周年を迎える、業界の老舗メーカーだ。創業者であり、いまも第一線で指揮を執る土屋日出夫さんは1944(昭和19)年、横浜生まれ。もともと会社勤めから、オトナのおもちゃ屋経営に転じたという異色の経歴の持主である・・・。
今回は上野のショールームに加えて、葛飾区内にあるオリエント工業の工場内も特別に見せてもらうことができた。映画『空気人形』でも、この工場がロケ地に使用され、映画の中ではオダギリジョー扮する孤独な人形師が作業していたが、実際には明るく広々とした空間で、若いスタッフを中心に活気あふれる下町のファクトリーである。
2011年10月5日水曜日
東京右半分:フネカンよ安らかに眠れ
2年間にわたる連載も、ついにあと2回になってしまった「東京右半分」。先週のブログで緊急お知らせしたように、9月30日で一部を除いて実質閉館してしまった、お台場の『船の科学館』を、今週はじっくりご案内します。
お台場をぐるりとめぐる「ゆりかもめ」の車窓に広がる、巨大な船型建築。見るたびに「ムム」と唸りたくなる、美醜を超えた、なんとも言えない存在感。ご存じ『船の科学館』、通称「フネカン」だ。
こういう、なにかのかたちを模した建物を「象形建築」(programmatic architecture)と呼び、ハイセンスな建築家さんたちからは「キッチュ」「俗悪」と見下されているわけだが、僕は好きですねえ。高速道路脇のクイーンエリザベスも好きだけど、お台場の「フネカン」は、その巨大さといい、定規をカクカクやりながら描いたような無骨きわまるデザインといい、もっと好きだ。
『船の科学館』の開設・運営母体は日本財団。ご存じかと思うが昭和の怪物と言われた笹川良一によって、1962(昭和37)年に日本船舶振興会として設立された財団である(今年4月に正式に名称変更)。笹川氏みずからが登場して「一日一善!」と呼びかけるテレビCMを、覚えているひとも多いだろう。ちなみに日本財団は2代目理事長として曾野綾子を迎え、現在は笹川良一の3男である笹川陽平が3代目の理事長を引き継いでいる。
モーターボート競走、つまり競艇の収益をもとに設立された日本船舶振興会が、『船の科学館』のもとになる海事博物館構想を立ち上げたのは、設立間もない1963(昭和38)年のこと。一時は当時世界最大の豪華客船だったクイーンエリザベスを取得して、東京湾に浮かべて博物館にするという豪快なアイデアが進められたが、クイーンエリザベスを買い取ることができず、計画断念。結局、現在のデザインに落ち着いて1974(昭和49)年の開館を迎えることになった・・・。
昔ながらの博物館スタイルを保持した本館内にディスプレーされた、すばらしいクオリティ船舶模型や、海軍の従軍画家による戦争画の数々、そして特に羊蹄丸の内部に再現された、青函連絡船時代の青森市街や駅の様子など、もしかしたら二度と見ることができなくなるかもしれない、貴重な記録画像が88枚! これ、無料ブログで見せちゃっていいんでしょうか・・。
お台場をぐるりとめぐる「ゆりかもめ」の車窓に広がる、巨大な船型建築。見るたびに「ムム」と唸りたくなる、美醜を超えた、なんとも言えない存在感。ご存じ『船の科学館』、通称「フネカン」だ。
こういう、なにかのかたちを模した建物を「象形建築」(programmatic architecture)と呼び、ハイセンスな建築家さんたちからは「キッチュ」「俗悪」と見下されているわけだが、僕は好きですねえ。高速道路脇のクイーンエリザベスも好きだけど、お台場の「フネカン」は、その巨大さといい、定規をカクカクやりながら描いたような無骨きわまるデザインといい、もっと好きだ。
『船の科学館』の開設・運営母体は日本財団。ご存じかと思うが昭和の怪物と言われた笹川良一によって、1962(昭和37)年に日本船舶振興会として設立された財団である(今年4月に正式に名称変更)。笹川氏みずからが登場して「一日一善!」と呼びかけるテレビCMを、覚えているひとも多いだろう。ちなみに日本財団は2代目理事長として曾野綾子を迎え、現在は笹川良一の3男である笹川陽平が3代目の理事長を引き継いでいる。
モーターボート競走、つまり競艇の収益をもとに設立された日本船舶振興会が、『船の科学館』のもとになる海事博物館構想を立ち上げたのは、設立間もない1963(昭和38)年のこと。一時は当時世界最大の豪華客船だったクイーンエリザベスを取得して、東京湾に浮かべて博物館にするという豪快なアイデアが進められたが、クイーンエリザベスを買い取ることができず、計画断念。結局、現在のデザインに落ち着いて1974(昭和49)年の開館を迎えることになった・・・。
昔ながらの博物館スタイルを保持した本館内にディスプレーされた、すばらしいクオリティ船舶模型や、海軍の従軍画家による戦争画の数々、そして特に羊蹄丸の内部に再現された、青函連絡船時代の青森市街や駅の様子など、もしかしたら二度と見ることができなくなるかもしれない、貴重な記録画像が88枚! これ、無料ブログで見せちゃっていいんでしょうか・・。
2011年9月28日水曜日
船の科学館、一部を除いて実質閉館!
お台場にある「船の科学館」が、ちょうど今週金曜で、一部施設を除いて実質的に閉館してしまいます!
今週金曜日(30日)の『東京右半分』で、すご〜く詳しくリポートしますが、その金曜日が「閉幕記念式典」ということで、それからでは間に合わないので、ここでもお知らせ。もうあと2日間で、37年間にわたって親しまれてきた、あの船のかたちの建物にも、青函連絡船にも入れなくなってしまいます。
南極観測船・宗谷のほうはそのまま公開されるようですが、本館のすばらしい船舶模型や、海軍の従軍画家による戦争画の数々、そして特に羊蹄丸の内部に再現された、青函連絡船時代の青森市街や駅の様子は、必見と言わずしてなんと言うべきか!
修学旅行でも昔は人気スポットでしたが、「むかし行ったことあるし」なんて落ち着いてないで、オトナの眼でもういちど見てみてください。もう閉まっちゃうということで、いまなら写真撮ろうがビデオ撮ろうがやりほうだいみたいなので、仕事サボってゆりかもめに飛び乗るべし。
今週金曜日(30日)の『東京右半分』で、すご〜く詳しくリポートしますが、その金曜日が「閉幕記念式典」ということで、それからでは間に合わないので、ここでもお知らせ。もうあと2日間で、37年間にわたって親しまれてきた、あの船のかたちの建物にも、青函連絡船にも入れなくなってしまいます。
南極観測船・宗谷のほうはそのまま公開されるようですが、本館のすばらしい船舶模型や、海軍の従軍画家による戦争画の数々、そして特に羊蹄丸の内部に再現された、青函連絡船時代の青森市街や駅の様子は、必見と言わずしてなんと言うべきか!
修学旅行でも昔は人気スポットでしたが、「むかし行ったことあるし」なんて落ち着いてないで、オトナの眼でもういちど見てみてください。もう閉まっちゃうということで、いまなら写真撮ろうがビデオ撮ろうがやりほうだいみたいなので、仕事サボってゆりかもめに飛び乗るべし。
2011年9月21日水曜日
東京右半分:水元公園で小魚フィッシング
葛飾区って……柴又の寅さん? 亀有の両さん? キャラ以外にあまりイメージのわかない右半分の端っこの区だが、千葉、埼玉と隣りあう葛飾区は、荒川、江戸川、中川、綾瀬川など大小7つの川に接する「水郷」の地でもある。そして江戸川を渡ればもう埼玉県という金町駅から北に1キロちょっと、小合溜(こあいだめ)と呼ばれる溜池(遊水池)を囲むように広がっているのが東京都立水元公園。休みの日には東京を横断して車で遊びに行ってしまうこともあるくらい、僕にとってお気に入りの公園でもある。パリで言えば南東の郊外にあるヴァンセンヌの森という感じ……って言い過ぎか。
水元公園の素晴らしさは、なんといってもその広大さにある。面積約92ヘクタール。実は小合溜を挟んだ対岸は埼玉県のみさと公園(16ヘクタール)になっていて、橋で行き来できるので、それもあわせればゆうに100ヘクタール以上。これがどれくらいの広さかというと、東京ディズニーリゾートが、ランドとシーあわせてほぼ100ヘクタール。東京の公園で較べれば、新宿御苑、上野恩賜公園、代々木公園がいずれも50ヘクタールちょっと。その倍はあるわけで、東京23区でも堂々1位、最大規模を誇る公園なのだ(それでもロンドンのハイドパークや、ニューヨークのセントラルパークの3〜4分の1だけど)。しかも新宿御苑などとちがって、入園無料ですから。
入口で貸し自転車をゲットして、端から端まで公園を一周してみると、さまざまなやり方で公園を楽しんでいるひとたちがたくさんいる。ジョギングしてるひと、スケッチしてるひと、草原でフリスビーしてるひと、犬を散歩させてる(させられてる)ひと、バードウォッチングしてるひと、メタセコイアの森でいちゃいちゃしてるひと、ひたすら寝てるひと……。そしてやたらと目につくのが、釣りをしてるひとたちだ。
水元公園の素晴らしさは、なんといってもその広大さにある。面積約92ヘクタール。実は小合溜を挟んだ対岸は埼玉県のみさと公園(16ヘクタール)になっていて、橋で行き来できるので、それもあわせればゆうに100ヘクタール以上。これがどれくらいの広さかというと、東京ディズニーリゾートが、ランドとシーあわせてほぼ100ヘクタール。東京の公園で較べれば、新宿御苑、上野恩賜公園、代々木公園がいずれも50ヘクタールちょっと。その倍はあるわけで、東京23区でも堂々1位、最大規模を誇る公園なのだ(それでもロンドンのハイドパークや、ニューヨークのセントラルパークの3〜4分の1だけど)。しかも新宿御苑などとちがって、入園無料ですから。
入口で貸し自転車をゲットして、端から端まで公園を一周してみると、さまざまなやり方で公園を楽しんでいるひとたちがたくさんいる。ジョギングしてるひと、スケッチしてるひと、草原でフリスビーしてるひと、犬を散歩させてる(させられてる)ひと、バードウォッチングしてるひと、メタセコイアの森でいちゃいちゃしてるひと、ひたすら寝てるひと……。そしてやたらと目につくのが、釣りをしてるひとたちだ。
これ、東京23区内ですよ!
http://www.chikumashobo.co.jp/blog/new_chikuma_tuzuki/
(23日金曜日は祝日のため、更新お休み。次回は30日になります。
めちゃ濃いお話になる予定なので、乞うご期待!)
(23日金曜日は祝日のため、更新お休み。次回は30日になります。
めちゃ濃いお話になる予定なので、乞うご期待!)
2011年9月15日木曜日
東京右半分:指の魔法に酔う一夜
思い起こせばもう2年も前、2009年の9月に始まったこの連載、今週で93回目を迎えて、あと2回で無事完結。「東京の右半分」というだけのくくりでスタートしたのに、よくこれだけネタがあったなと、われながら驚くばかりですが、その中で浅草と並んでよく登場した場所が湯島。昼間のうちは単なる”上野のとなりの古い街”だけど、夜のとばりが下りるとともに歌舞伎町をしのぐアンダーグラウンド感にあふれ、客引きのオヤジや多国籍嬢も道にあふれ、ひじょうに魅力的かつデンジャラスな雰囲気。いくつになってもワイルドサイドを歩いていたい夜の冒険者にとって、いまのところ東京でいちばん楽しい街かもしれない。
そんな”なんでもあり”の湯島ではあるが、まさかこんな店が! と驚かざるをえないのが、去年10月にオープンしたばかりの『手話ラウンジ きみのて』。そう、手話(と筆談)で聴覚障害者も健聴者もいっしょになって、かわいい女の子と楽しく飲める店なのだ。ちょっと前に銀座のクラブの「筆談ホステス」が有名になったけれど、あちらはあくまで健聴者のお客さんのためのお店であり、お仕事。しかしこちら『きみのて』は、お客さんも女の子も聴覚障害者がメインという、湯島どころかおそらく日本で唯一のシステムで営業を続ける、希有な店である。
そしてついでに追加情報:タイのお騒がせ元首相タクシン、ひそかに東京に来てたんですね! で、立ち寄って大歓迎を受けたのが、なんと前に「東京右半分」で取材した三河島のタイ寺院「ワット・プラ・タンマガーイ」。もう、駅からタクシン派の赤シャツを着た支持者でいっぱい、ここは荒川区じゃなくてバンコクだったのかと錯覚するほど、ものすごい熱気です。わざわざ日本語字幕をつけてくれた動画があるので、『右半分」の記事ともどもご鑑賞を。
東京右半分:荒川区に響くタイの祈り
2011年9月7日水曜日
東京右半分:「よさこい」を着る
週末、用事があって表参道に行ってみたら、いつもに増して異様な大混雑。なんだろうと思っていたら、『原宿表参道元気祭スーパーよさこい2011』というお祭りの真っ最中だった。いったい「よさこい」って、全国でどれくらいあるのだろう。
今年も8月9日から12日まで高知県高知市の元祖・よさこい祭りが開催され、191のチームが参加、100万人を超す観客動員だったという。高知市の人口が30数万人だから、ふだんの3倍以上の人間が祭りに参加したことになる。
その「よさこい」を全国区に押し上げた魅力が、音楽・ダンスと並んで、あの独特にカラフルな衣装であることに、異論を唱えるひとはいないだろう。そして数ある衣装制作店舗・工房のうちで、わずか3年前にスタートしたにもかかわらず、いまもっとも独創的なデザインを生み出すアトリエとして注目されているのが、葛飾区堀切に本拠を置く『たかどの装舎』であることを、ご存じだろうか。
たかどの装舎の社主であり、デザイナーでもある岩永ゆかりさんに、お話をうかがってみよう——。
http://www.chikumashobo.co.jp/blog/new_chikuma_tuzuki/
今年も8月9日から12日まで高知県高知市の元祖・よさこい祭りが開催され、191のチームが参加、100万人を超す観客動員だったという。高知市の人口が30数万人だから、ふだんの3倍以上の人間が祭りに参加したことになる。
その新しいよさこい祭りが、ここまで全国的なイベントになったきっかけは、1992(平成4)年に札幌で始まった『YOSAKOIソーラン祭り』から。一説によれば現在では全国各地で220近くの「よさこいスタイル」の祭りが開催され、チーム数が1000以上、観客動員総数は1000万人(!)と推定されている。「よさこい/YOSAKOI」とは、すでに高知という一地方の夏祭りであることをはるかに超えた、現代日本が生んだ、そしてもっとも成功したストリート・ダンス・パフォーマンスの形態であるのかもしれない。
その「よさこい」を全国区に押し上げた魅力が、音楽・ダンスと並んで、あの独特にカラフルな衣装であることに、異論を唱えるひとはいないだろう。そして数ある衣装制作店舗・工房のうちで、わずか3年前にスタートしたにもかかわらず、いまもっとも独創的なデザインを生み出すアトリエとして注目されているのが、葛飾区堀切に本拠を置く『たかどの装舎』であることを、ご存じだろうか。
たかどの装舎の社主であり、デザイナーでもある岩永ゆかりさんに、お話をうかがってみよう——。
http://www.chikumashobo.co.jp/blog/new_chikuma_tuzuki/
2011年8月24日水曜日
東京右半分:和柄の聖地・亀有を訪ねて
たとえばジーンズの太股に桜吹雪が散っていたり、アロハシャツにドクロやコウモリが躍っていたり、Tシャツの背中で見返り美人が微笑んでいたり……いわゆる「和柄」というジャンルが、ストリート・ファッションにある。

表参道や代官山のハイソなブティックでは見かけないが、日本中の男の子たちや女の子たち、特に男の子たちが通う街場の店ではかならず、誇らしげにショーウィンドウに飾られている、そういうストリート・ファッションの世界では過去10年近くにわたって、和柄が変わらぬ人気を保ちつづけているのだが、そんな和柄の、おそらく日本でいちばんコアな品揃えを誇っているショップが、実は亀有にあることをご存知だろうか。

ほとんどの日本人にとっては『こち亀』以外にはなんのイメージも浮かばないであろう亀有駅に降り立ち、徒歩5分。環状七号線沿いの、およそ「ファッショナブル」という言葉からはかけ離れたグレーな街区に、突如現れる「JEANS RODEO CASUAL」というアメリカン・フレイバーたっぷりのネオンサイン。ここが和柄の総本山『RODEO BROS』なのだ。
2011年8月11日木曜日
東京右半分:『そなエリア東京』で首都直下地震にこころの準備を・・
ゆりかもめ、あるいはりんかい線で有明方面に向かう。見本市でおなじみの東京ビッグサイトと、有明テニスの森に挟まれた街区に、東京臨海広域防災公園という施設があることを知るひとはどれくらいいるだろう。そこが、面積13ヘクタール以上におよぶエリアで、しかもいざ首都直下型地震が起きた場合には、 緊急災害現地対策本部となり、首相官邸とホットラインで結ばれたオペレーションルームが置かれる、いわば大地震に襲われた東京を救う最前線の基地となるこ とを、どれだけのひとが知っているだろう。
去年7月にオープンしたばかりの『そなエリア東京』は、その現地対策本部用の建物を使って、都民の防災意識を高めてもらおうという”体験型防災教育ミュージアム”である。
2011年7月28日木曜日
東京右半分:錦糸町リトル・バンコク2
先週は錦糸町のタイ事情について、東京とバンコクをつなぐキーパーソンのひとりである松本ピムチャイさんに、オリエンテーションをしていただいた。今週はピムチャイさんと、タイ教育文化センターのスタッフたちのおすすめにしたがって、錦糸町の「リトル・バンコク」を歩き回ってみよう。タイ食材店にタイ・レストラン、タイ・マッサージにタイパブ、最後はタイ・カラオケ! 昼間から夜中まで、長~~いツアーになりますので、よろしくお付き合いを!
2011年7月20日水曜日
東京右半分:錦糸町リトル・バンコク 1
錦糸町……と聞いて、どんなイメージが浮かぶだろうか。アジアン・タウン、楽天地、場外馬券売り場、風俗、そしてスカイツリー……そのどれもが正しくて、どれもが一面でしかない。錦糸町は上野と並んで、東京右半分を代表する重層的なメガ・タウンである。
いっとき、錦糸町は「リトル・マニラ」と一部で称された時代があった。南口の丸井の裏あたりには、飲食ビルの中にフィリピンパブがひしめきあい、路上ではなぜかパキスタン系の客引きが「シャチョウ、シャチョウ」と声をかけてくる、異様な光景が夜ごと展開していたものだった。
フィリピン娘の入国審査が厳しくなるにつれ、かわって目立ってきたのがタイである。それもフィリピンとちがって、夜の店だけでなく、語学教室、料理教室、レストランに食材店、マッサージ(錦糸町だけで30軒以上のタイ・マッサージ店があるとか!)などなど、これこそ「リトル・バンコク」と呼びたいタイ・カルチャーが、すっかりこの街には根づいているようなのだ。
地元のタイ人によると、「いまはタイのひとも減ってきて、かわりにロシアのパブとか増えてますよ」ということだが、数年前にはバンコクにアパートも借りていたほどのタイ好きである自分から見ても、錦糸町は東京でいちばん「タイの色」が濃い地域に間違いないと思う。足立区竹ノ塚がフィリピンで、高田馬場がビルマであるように。
前から気になっていた錦糸町のタイ事情を、この地に暮らし、商売しているタイ人に案内してもらいたい! というわけで、2週間にわたってお送りする「錦糸町リトル・バンコク・ツアー」。そのスタートは錦糸町に、そして日本にタイ文化を紹介した立役者のひとりでもある、松本ピムチャイさんのお話から。
「ピーケイサイアム」という会社を経営し、タイの野菜や果物、飲料などの食材を輸入するとともに、錦糸町・目黒・成田・新宿などに正統派タイレストラン『ゲウチャイ』を運営する、おそらく日本でいちばん有名なタイ人ビジネスパースンである。そのピムチャイさんがタイと日本の修好120周年を機会に、2007年に設立した『タイ教育・文化センター』で、たっぷりお話をうかがった。
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