2011年10月5日水曜日

東京右半分:フネカンよ安らかに眠れ

2年間にわたる連載も、ついにあと2回になってしまった「東京右半分」。先週のブログで緊急お知らせしたように、9月30日で一部を除いて実質閉館してしまった、お台場の『船の科学館』を、今週はじっくりご案内します。

お台場をぐるりとめぐる「ゆりかもめ」の車窓に広がる、巨大な船型建築。見るたびに「ムム」と唸りたくなる、美醜を超えた、なんとも言えない存在感。ご存じ『船の科学館』、通称「フネカン」だ。


こういう、なにかのかたちを模した建物を「象形建築」(programmatic architecture)と呼び、ハイセンスな建築家さんたちからは「キッチュ」「俗悪」と見下されているわけだが、僕は好きですねえ。高速道路脇のクイーンエリザベスも好きだけど、お台場の「フネカン」は、その巨大さといい、定規をカクカクやりながら描いたような無骨きわまるデザインといい、もっと好きだ。


『船の科学館』の開設・運営母体は日本財団。ご存じかと思うが昭和の怪物と言われた笹川良一によって、1962(昭和37)年に日本船舶振興会として設立された財団である(今年4月に正式に名称変更)。笹川氏みずからが登場して「一日一善!」と呼びかけるテレビCMを、覚えているひとも多いだろう。ちなみに日本財団は2代目理事長として曾野綾子を迎え、現在は笹川良一の3男である笹川陽平が3代目の理事長を引き継いでいる。


モーターボート競走、つまり競艇の収益をもとに設立された日本船舶振興会が、『船の科学館』のもとになる海事博物館構想を立ち上げたのは、設立間もない1963(昭和38)年のこと。一時は当時世界最大の豪華客船だったクイーンエリザベスを取得して、東京湾に浮かべて博物館にするという豪快なアイデアが進められたが、クイーンエリザベスを買い取ることができず、計画断念。結局、現在のデザインに落ち着いて1974(昭和49)年の開館を迎えることになった・・・。

昔ながらの博物館スタイルを保持した本館内にディスプレーされた、すばらしいクオリティ船舶模型や、海軍の従軍画家による戦争画の数々、そして特に羊蹄丸の内部に再現された、青函連絡船時代の青森市街や駅の様子など、もしかしたら二度と見ることができなくなるかもしれない、貴重な記録画像が88枚! これ、無料ブログで見せちゃっていいんでしょうか・・。