2011年3月2日水曜日

東京右半分:右半分怪人伝1 縄一代・濡木痴夢男 中編

 昭和28(1953)年に23歳で初作品『悦虐の旅役者』を発表。以来現在まで実に58年間、十数のペンネームを使い分け執筆した小説、記事が1000点以上。そしてその執筆作品以上によく知られる、SM縄芸術の様式美を完成させたパイオニアとして、これまで縄をかけた女性が5000人とも6000人とも言い、80歳を越えた現在も活動の手をゆるめない、まさしく日本SM界の巨星である。そしてまた、SM界とは別の名前で歌舞伎から浪曲、大衆演劇まで伝統芸能全般を深く論じてきた当代随一の論客であり、新作劇の作者でもあり、さらにみずから演劇、落語などの舞台に立つ実践者でもある。

 現代日本が誇る(べき)最強のアンダーグラウンド・アーティストの、波乱に満ちたライフヒストリーを辿る旅。今週はその生い立ちを振り返ることから始めよう。

 濡木痴夢男は1930(昭和5)年、東京都台東区浅草に生まれた。濡木と同じく浅草の演劇に深い関心を寄せてきた色川武大/阿佐田哲也が生まれたのはその前年、同世代の同志ということになる。ちなみにこの1930年はショーン・コネリー、クリント・イーストウッドが生まれた年であり、日本でも梶山季之、上坂冬子、野坂昭如、笹沢左保、開高健など、そうそうたる作家を生んだ”当たり年”でもあった。



 来るべき戦争へと静かに近づきながら、ある意味で世紀末のように退廃の空気が淀んでいた時代、「エロ・グロ・ナンセンス」が流行語になった年に生まれた少年は、浅草という場所柄、そして勤め人でありながら、無類の芝居好きだった父親の影響で(祖父が創業した和菓子製造販売店を、常磐津や清元など芸事道楽の果てに潰してしまったという)、小学校入学前から芝居小屋に出入りしていたという。後年、SMとともに濡木氏の人生の根幹をなす存在となった芸能、演劇への目覚め、さらには「縛られた抒情」としてのSM美学を育む過程でも、こうした幼年期の芝居体験が深く影響していたことはまちがいない。