2011年3月9日水曜日

東京右半分:縄一代・濡木痴夢男 後編

すでに少年時代から身を投じていた演劇の世界にいったん別れを告げ、東京から移り住んだ名古屋の地でPR雑誌の編集に従事しつつ、東京時代からの愛読誌『奇譚クラブ』に作品を初投稿、作家デビューを飾ったところで、先週は区切らせてもらった。青山三枝吉というペンネームで書かれた処女作『悦虐の旅役者』が掲載されたのは、昭和28(1953)年11月号。濡木痴夢男、23歳のことだった。

先述したように『奇譚クラブ』を支えていたのは本名・須磨利之、画家として喜多玲子、縄師として美濃村晃という3つのキャラクターを使い分ける希有なアーティストだった。濡木青年が作品を投稿したのも、自分の文章に喜多玲子の挿絵を添えてもらいたいという一心だったという。



しかし、その理由はいまだに明らかにされていないが、濡木青年の投稿が『奇譚クラブ』編集部に届く直前に、須磨利之のほうが雑誌を去り、長年住み暮らした関西から東京に出てきてしまう。後年、親交を結んだ濡木に須磨は「あのとき、あなたとわたしはすれ違いでしたね」と語ったというが、東京に移り住んだ須磨は『風俗草紙』というエロ雑誌に協力したあと、自身が編集者となって『かっぱ』という雑誌を創刊。それが他社(カッパBOOKS)からのクレームで誌名を変更、昭和31(1956)年、『裏窓』として世に出る。一見、ふつうの実話娯楽誌の体裁を保ちながら、丹念にページを繰ればそこにはまぎれもない、緊縛マニアのこころをそそる"ホンモノのにおい"があった。大阪発の『奇譚クラブ』に対する、初めての本格的なライバル誌の登場であり、それはまた濡木青年の人生を大きく変えていく舞台の誕生でもあった。



ついに大団円を迎えた日本縄芸術の創始者、濡木痴夢男の一代記、長編です。3回まとめてお読みください!