2011年6月30日木曜日

東京右半分:プリティ・イン・ピンク

2011年現在の「ピンク映画」という存在を、どれくらいのひとが認識しているのだろうか。

AVでなく、ピンク映画。日活ロマンポルノのような大手の映画製作会社以外の製作・配給会社によってつくられるポルノ映画をそう呼ぶのだが、かつては全国各地の盛り場にかならずあった数百というピンク映画館が、激減しながらもちゃんと生き残って、新作も製作されているという事実を、どれほどのひとが知っているだろうか。



1962(昭和37)年の『肉体の市場』がピンク映画第1号ということになっている。その『肉体の市場』を配給したのが大蔵映画。新東宝を退陣した大蔵貢が同年に設立した新会社だった。『肉体の市場』大ヒットを皮切りに、大蔵映画は70年代から80年代初期のピンク映画黄金時代には、日本最大のピンク映画製作・配給元に成長した。自社が経営する直営館や、外部の中小プロダクションを統合した子会社の「OPチェーン」は、最盛期には都内だけで50館、一大成人映画館チェーンに発展していたという。

その大蔵映画グループが、いま保有する成人映画館は上野、横浜、宇都宮のみ。製作部門の子会社であるオーピー映画がつくっているピンク映画が、年間36本。その36本が、いま日本国内で製作されるピンク映画のほとんどであり、それが全国のピンク映画館に回っているわけだ。


その大蔵映画が所有する劇場のうち、旗艦とも言えるのが上野オークラ劇場。上野駅不忍口を出てすぐの好立地にある劇場は、夜ともなればクラシカルなネオンサインが輝き、小さいながらも見落としようのない存在感があった。そのオークラ劇場がついに閉館、というニュースに驚き、すぐそばに新劇場をオープンというニュースに、さらに驚いたのが去年の夏。ピンク映画というジャンル自体が瀕死の状態にある中で、新しい小屋を建てるという、それはすばらしく思いきった決断だった。