先週のブログでお知らせしたとおり、こないだの日曜日、六甲アイランドの神戸ファッション美術館で、トークをやらせてもらいました。ウィルス攻撃にあったとかで、美術館公式サイトもブログも5月頭から全部閉鎖中(!)という異常事態にもかかわらず、過去最高という150名ものお客さんが来てくれました。どうもありがとう! そしてもちろん、前日の土曜日、福岡市美術館のトークに来てくださった方々も。
ところで今回、神戸の『ファッション奇譚』と銘打たれた展覧会。「服飾に属する危険な小選集」なる、ちょっとスキャンダラスなサブタイトルがついていますが、実はほんとにちょっとスキャンダラスな事件が起こってしまっていました。どこの地元メディアも、美術メディアもぜんぜん取り上げてませんが。
今回の展覧会は、過去から現代まで、ファッションにおけるエキセントリックな面をいろいろな角度から取り上げた、なかなか野心的なグループ展です。で、僕の『HAPPY VICTIMS 着倒れ方丈記』も加えてもらっているのですが、このなかでかなりフィーチャーされているのが京都在住の現代美術作家・岡本光博さんです。その彼が今回、展覧会の目玉として用意したのが『バッタもん』と名づけられたシリーズのインスタレーション。ルイ・ヴィトン、シャネル、グッチなど、世にはびこる高級ブランドの「バッタもん」(コピー商品)を素材にして、バッタを作ってしまったという、まあ日本人にしかわからないダジャレ・アート。しかしこれがうやうやしくガラスケースの中にずらりと並ぶさまは、ちょっとアイロニカルで微苦笑を誘うインスタレーションでありました。
展覧会側も、この作品が今回の企画を象徴するものと考えたようで、ポスターなどにも主役として扱われています(図版参照)。ところが! というか当然ながら、文句が来たんですねー、ルイヴィトンさまから。ほかのブランドからは、なんのお問い合わせも、おとがめもなかったのに。ヴィトンさまからは、バッタもんという表現でLV製品にかかわるコンセプトの作品を発表すること自体が、ブランドの信頼をはなはだしく損ない、偽造品の販売を肯定し、公序良俗に反する行為であるから、即刻展覧会から作品を回収し、ポスターやウェブサイト上の画像も削除せよ! じゃないと、法的手段を講ずる!!! とのお達しが、5月初旬にあったそう。
バッタもんの商品を作って売っているわけではないし、だいたいLVのバッタなんて商品にないと思うので、ヴィトンさまの言うように、これがコピーライトの侵害にあたるのかは、はなはだ疑問です。さらに、いちど展覧会に出品されている作品を、会期途中で引っ込めるというようなことは、よほどでないとありえません。当然ながら美術館や市側は、アーティスト・サイドに立って全面的に対決するかと思いきや・・・
ヴィトンさまから抗議を受けて、その日のうちに岡本さんの『バッタもん』はすべて展覧会場から撤収されてしまいました。ヴィトン以外の、抗議すら来ていなかったブランドの『バッタもん』も含めて、全部! なぜ? 抗議が怖いのなら、とりあえずヴィトンのバッタだけ隠せばいいのに。わけ、わかりません。もちろん、アーティストとしては納得いきませんから、特設ウェブサイトで9体すべての『バッタもん』が見られるようにしています。ぜひ、ご覧ください。これがいったい、ヴィトンさまの最高級イメージを、どれだけ損なうものであるか、見ていただきたいと思います。
会期途中で刷り直しさせられたポスターにも、バッタは影もかたちもありません。
展覧会を訪れてくれた方のブログから:
おりしも神戸では、こないだ日本最大級のルイヴィトン旗艦店がオープンしたばかり。そういうの、関係あるんでしょうかねえ。しかしファッションというのは、そもそも反逆精神から生まれる新しいスタイルです。いまやハイ・ブランドになったシャネルだって、もとは前時代的な女のからだを縛りつける衣裳からの解放を目指して生まれたデザインだったし、ポップだってパンクだって、「みんながヨシとするもの」への反抗から、すべてが生まれたわけです。
神戸は全国に先駆けて1973年に「ファッション都市宣言」をして(ほかにどんな都市がそんなことしたんでしょう?)、「以来、産業界、行政・市民、学界等が一体となりファッション性豊かな街づくりを推進し、神戸は日本を代表する「ファッションの街」として広く知られています」ということです(神戸ファッション協会ウェブサイトより)。産業界と一体になるのはいいですが、いまいちばん売れてるブランドに頭を下げ、いまから世に出る新しいクリエイティブなちからを排除しているようでは、しょせん”東京の次にファッショナブルで、洋服にお金つかうひとがたくさんいる”、ナンバー・ツーの町にしかなれないでしょう。
しかしヴィトンさまって、リチャード・プリンスとか村上隆とか、現代美術作家とコラボしてますよね。リチャード・プリンスはマルボロ・マンとか、メディアに出回るイメージを勝手に使った作品群を過去に多数制作して、コピーライトの侵害じゃないかとかなり問題になったり、またそれを逆手にとってアートの概念を揺さぶってきたのですし、村上隆はファインアートも漫画も、むりやり同レベルに落とし込む荒技で評価されてるわけしょう(たぶん)。そういうのはOKで、こういうのはダメって、なんかおかしくありません?
たとえカチンときても、ソウルやバンコクの屋台じゃあるまいし、美術館でバッタもんを売ってるんじゃないんだから、笑って見逃すのが”アーティスティック”なんじゃないのでしょうか。展覧会なんて、そのうち終わっちゃうんだし。ヴィトンを一個も持ってない僕にはそう思えてしまうのですが、上質な商品を持って、上質な暮らしをしている方々って、そうは考えないんですかね。