2011年2月2日水曜日

新連載! 東京スナック飲みある記



もう50年以上、東京で生活しているのに、行ったことのない町がたくさんある。入ったことのない本屋もレコード屋も、食べたことのない定食屋もたくさんある。それから、飲んだことのないスナックも! 東京はひとつの都市じゃない。イクラのつぶつぶみたいに小さな町がくっつきあった、ぐちゃぐちゃの巨大な集合体だ。


夜、知らない町に降りたって、看板の灯りに惹かれてスナック街を歩くのは、夜間飛行にちょっと似ている。眠れないままに窓の外を眺めると、真っ暗な大地にぽつんぽつんと明かりが見える。ああここにもだれかが住んでるんだな、いまなにしてるんだろう。そうして退屈なフライトが、少し楽しくなってくる。


閉ざされたドアから漏れ聞こえるカラオケの音、暗がりにしゃがんで携帯電話してるホステス、おこぼれを漁るネコ・・。東京がひとつの宇宙だとすれば、スナック街はひとつの銀河系だ。酒がこぼれ、歌が流れ、今夜もたくさんの人生がはじけるだろう場所。


東京23区に、23のスナック街を見つけて飲み歩く旅。これから毎週チドリ足でお送りします。よろしくお付き合いを!


第1夜:品川区・武蔵小山飲食街

目黒線が「東急目蒲線」と呼ばれていたころの武蔵小山には、独特に昭和を感じさせる空気があった。目黒から蒲田まで、東京都心部を迂回するようにくねくね延びた地味な路線の、地味な駅。でも駅前商店街パルムは、昭和31(1956年)の第1アーケード完成時には「東洋一」と称えられ(そのカンムリ自体がすでに昭和っぽいが・・最後のアーケード完成は1981年)、いまも都内最長、800メートルに及ぶアーケードに約250店舗の商店が軒を連ねている。


1958年8月、上空から眺めた武蔵小山駅前。中央にあるのがアーケード商店街、左側が飲食街になる。
写真提供/毎日新聞社

そしてパルムと同じ南側(東口)の線路脇には、その名も「飲食街」と単純明快な名前のついた、都内有数のスナック密集地帯があった・・・いや、いまもあるのだが、目蒲線が2000年に目黒線になって都心部と地下鉄で直結し、さらに古い駅舎が2010年に新しい駅ビルになって無印良品や東急ストアが出店したあたりから、急激にその”昭和フレイヴァー”を失いつつある。

駅前の不動産店頭。交通の便がよくなって、若いふたりにも人気の街・・

「東洋一」とうたわれたパルム商店街。

パルム商店街の名物店のひとつ、婦人服の『リバー』は、超派手な衣装で有名。
いまはカラオケ発表会用のドレスが主流だとか

こんな懐かしいたたずまいの本屋さんもある


『東京のしゃれた街並みづくり推進条例 』という名前の条例を、ご存じだろうか。「しゃれた」なんて言葉が、お堅い条例に使われることからしてセンスが疑われるように、東京都が2003年に制定したこの条例は――

都市計画法(昭和43年法律第100号)等の適切な運用を図りながら、東京都民(以下「都民」という。)、事業者及びまちづくり団体(以下「都民等」という。)の意欲と創意工夫をいかして、個性豊かで魅力のあるしゃれた街並みを形成するための制度を整備することにより、都民等による主体的な都市づくりを推進し、もって都市の再生を進め、東京の魅力の向上に資することを目的とする。(第1条)

というわけで、古ぼけて小汚い商店街や飲み屋街を、お役人とディベロッパーの手によって「しゃれた街並み」につくりかえてあげましょうという、いま第二の列島改造のように全国各地で起こっている、高機能高収益化=画一化作戦の後押し政策である。そして本条例によって『街並み再生地区』に指定された、つまり東京都庁によって「ダメでしょ、ここは」の烙印を押された第1号が、武蔵小山駅東地区(2004年)。駅前の裏手から線路沿いに広がる、迷路のようなスナック街なのだ(ちなみに第2号は南池袋地区)。



駅改札を抜けて東口の地上に出ると、ロータリーを挟んだ目の前に、立ち食い焼き鳥の名店『鳥勇』が、いつも変わらぬおいしそうな煙を吐き出している。鳥勇脇の路地を入っていけば、そこがもう「武蔵小山飲食街」。ずーっと昔は大きな料亭や、生バンド入り・ダンスフロアにヌードダンス・ショーまで付いた『天国』というクラブもあったという。


1978年に発行された『荏原警察署五十年史』には、「キャバレー1軒、バー14軒、その他スナック等が162軒あり、このことから夜間に入ると酔客によるけんか、金銭のトラブル等、毎夜事件が絶えない」とあり、夜ごとのにぎわいが想像できるが、そんな「毎夜事件が絶えな」かったのも、いまは昔。紫や黄色の看板が路地を照らす、迷路のように入り組んだ飲食街を埋めるスナックが、いまではだんだんと小さな風俗店や、ガラス張りのスタンディング・バー、エスニック料理の店などに変わりつつある。


飲食街のど真ん中は、すでに地上げでポッカリ空いた土地が駐輪場になってしまった。自分のチャリを取りに向かう通勤通学者たちが急ぎ足で行き交い、わずかに残った客引きのオヤジも肩身が狭そう。かつての妖しげなスナック街の雰囲気は、薄れるいっぽうだ。「あと数年で、このあたり全部なくなって、大きなビルになっちゃうからねぇ」と、ある老舗スナックのママも溜息をついていたが、それでもまだこの界隈で100軒近くのスナックが営業中だというから、密集度から言えば、いまだに都内有数のスナック街であることにはちがいない。



開業して30年、40年という店がざらにある武蔵小山のスナック街は、そうとうに濃いキャラのママさんが君臨しているケースが多く、スナック初心者にはドアを押し開ける勇気がなかなかわかないかもしれない。まずは古めの居酒屋あたりで腹ごしらえをしつつ、気安い店を紹介してもらうのが早道だろう。どこに入ろうかと悩みつつ、スナック看板が林立する路地から路地へと歩き回るだけでも、そうとう「夜のちい散歩」気分を満喫できるが。



武蔵小山はまた、女子プロレス関係の店が多い「女子プロ・タウン」でもある。かつて全女(全日本女子プロレス)の事務所が下目黒にあり、解散時も小山にあったため、もともと武蔵小山に住む女子レスラーが多かったらしい。全女創生期に活躍した巴ゆき子が『ラセーヌ』というスナックを開いていたのを皮切りに、現在でも井上京子の『あかゆ』、ハーレー斎藤と立野記代ペアの『DRINK BAR GOHAN 悟飯』、みなみ鈴香の焼肉店『牛小屋』、影かほるの『めしくぃ亭』などなど。ママさんが個人的に応援しているとかで、ポスターが店内や外壁に貼ってある店もあり、それがプロレスでなく女子プロであるところがまた、場末の哀感を引き立ててると言ったら失礼か。


駅ビルと大規模複合商業施設とタワー・マンションの”しゃれた街並み”に去勢されてしまう前に、かろうじていまも残る妖しき昭和の香りを味わいに、今夜は武蔵小山で飲んで飲まれていただきたい。来週は三軒茶屋に飲みに行きます。


今夜の飲み歩きは、『スナックにゃんにゃん』から。パルム商店街と並行する26号線通りに店を開いて、もう30年。なのに「地主が高層マンションに建て替えるってんで」、惜しくも昨年大晦日に閉店を余儀なくされた。にゃんにゃんの春子ママは、17歳で千葉の九十九里浜から集団就職で上京。自分の店を開く前は、駅前のクラブ『天国』でウエイトレスや、ときにはステージで美声も披露していたそう。「コマ劇場のときは毎年かならず行ってた!」という大の北島三郎ファン。自分で歌うのもサブちゃんオンリーの、硬派で世話好きのママさんです。 
スナックにゃんにゃん 品川区小山4-5-6(残念ながらすでに閉店)


30年間、笑みを絶やさなかった気丈な春子ママ

超アットホームな店内に、名残を惜しむ常連さん

飾り、置物のひとつひとつに思い出がこもる


壁から引っ込んだ棚、手作りの写真コーナー・・すべてが昭和の香り


「うち閉めちゃったから、仲良しの店に連れてってあげる」と、にゃんにゃんの春子ママに案内されたのが、『スナックあなぐら』。26号線通りの、線路を渡った北側にある大きな店。近くの旧店舗から8年前に引っ越したが、なんと創業47年目という武蔵小山きっての老舗スナックだ。
光江ママによれば、「むかしは絨毯バーだったの、それであなぐらって名前にしたのよ」。DVの旦那さまに悩まされながらも、息子ふたりを立派に育て上げ、いまもきりっと着物姿で毎晩、店を切り盛りしているがんばりもの。昔から武蔵小山は町工場の社長さんや、東京電力の社員さんがメインの客層だったが、「最近は若い部下を連れてくるってことがないし、不況だから(お客さん)減ってるわねえ」と嘆息。にゃんにゃんの春子ママと同じく、こんなに長くやってるのに、お酒は一滴も飲めない――「それが長続きの秘訣なのかもね」。 
スナックあなぐら 品川区小山4-1-6 電話03-3711-6797


光江ママを囲んで、スタッフと常連さん

いまでも毎晩、着物で出勤の光江ママ

『あなぐら』は歌自慢のお客さんが集って、夜ごと歌合戦状態

瓶の底に名前を書いて、省スペースのキープボトル棚

昔話に花を咲かせる、武蔵小山の長老ふたり

興が乗れば店内はダンスフロア状態に突入する


武蔵小山飲食街の迷路の奥、『パブスナック ロンシャン』は創業が昭和49(1974)年、今年で37年目という飲食街きっての老舗店だ。上品なインテリア、カウンターにはつねに数名の女の子が立ち、ちょっと見は高そうな雰囲気だが、実は気軽な地元系スナック。なんたって、メニューも「女乳」なんて書いてあるぐらいだし、会計を済ませたらママと女の子が外まで出てきて、火打ち石(!)でカチカチって見送ってくれる。
のりこママは岩手県久慈市出身。三島由紀夫が自決した昭和45年11月25日に「8000円握りしめて」上京、渋谷の名門グランドキャバレー『グランド東京』で3年働いて資金を貯めたあと、自分の店を開いた。以来「ほんとに来年どうしようかって、ずーっと悩みつづけです」と言いながら、いまも実は連日大繁盛の名物スナックである。 
パブスナック ロンシャン 品川区小山3-17-7 電話03-3786-3070


武蔵小山飲食街の老舗店ロンシャン。このあたり、昔は料亭だったらしい

ママのほかに4、5人の女の子が毎晩働いている

メニューならぬ「女乳」。ママの人柄が偲ばれます・・

武蔵小山飲食街の重鎮、のりこママ