2011年2月16日水曜日

東京スナック飲みある記


もう50年以上、東京で生活しているのに、行ったことのない町がたくさんある。入ったことのない本屋もレコード屋も、食べたことのない定食屋もたくさんある。それから、飲んだことのないスナックも! 東京はひとつの都市じゃない。イクラのつぶつぶみたいに小さな町がくっつきあった、ぐちゃぐちゃの巨大な集合体だ。

夜、知らない町に降りたって、看板の灯りに惹かれてスナック街を歩くのは、夜間飛行にちょっと似ている。眠れないままに窓の外を眺めると、真っ暗な大地にぽつんぽつんと明かりが見える。ああここにもだれかが住んでるんだな、いまなにしてるんだろう。そうして退屈なフライトが、少し楽しくなってくる。

閉ざされたドアから漏れ聞こえるカラオケの音、暗がりにしゃがんで携帯電話してるホステス、おこぼれを漁るネコ・・。東京がひとつの宇宙だとすれば、スナック街はひとつの銀河系だ。酒がこぼれ、歌が流れ、今夜もたくさんの人生がはじけるだろう場所。

東京23区に、23のスナック街を見つけて飲み歩く旅。毎週チドリ足でお送りします。よろしくお付き合いを!

第3夜:杉並区・高円寺エトアール通り

高円寺、と聞くだけで遠い目になったり、なんだかニコニコしてしまうひとたちが、僕のまわりにはたくさんいる。みんな、若いころにいちどは高円寺に住んだり、遊びに通った経験の持主だ。「もし若いときにパリに住む幸運に巡り会えば、後の人生をどこで過ごそうとも、パリは君とともにある」とヘミングウェイは言ったが、若いころに高円寺に住んだことがあるかないかで、あとの人生がずいぶんちがってくるかもしれないとすら思ってしまうのは、僕のひいき目だろうか。

東京版・移動祝祭日としての高円寺。隣の中野はもっと中年の街だし、反対隣の阿佐ヶ谷は上品な住宅街の匂いがする。駅ひとつ離れるだけで、こんなに空気がちがうのはなぜだろう。同じ中央線の「若者の街」とされる吉祥寺の商売臭さも、西荻のニューエイジ臭さも、ここにはない。ひたすらゆるくて、格好もなんにも気にしなくてよくて、好きなことだけしていても、なんにもしなくても許される街。そういう高円寺のぬるま湯感覚を、僕もときどき無性に懐かしくなる。

戦前、高円寺は三軒茶屋と並ぶ杉並・世田谷エリア屈指の繁華街だったという。先週紹介した三軒茶屋の話に出てきた東急世田谷線(玉電)も、三軒茶屋から高円寺まで延びる予定だったらしい。

空襲によって高円寺は焼け野原になったが、すぐに復興。東京の下町からも移住するひとが増えて、それがいまに残る下町っぽさを育んだという説もある。当時、娯楽の中心は映画館であり、映画館の周囲に飲食店街が形成されていったのは、三軒茶屋でも見てきたとおり。高円寺にはかつて4軒の映画館があり(そのうち3軒が南口)、うちエトアール劇場とムービー山小屋の2軒が同じ通りに軒を並べていた。高円寺駅南口を出て、パル商店街を下った先を右に折れる、そこが映画館から名前を取った「エトアール通り」であり、かつては高円寺でも一、二を争う人出を誇る繁華街だったといったら、驚かれるだろうか。


南口パル商店街を下った奥に、こんな歴史ある横道が
あるとは知らないひとも多いはず

高円寺をよく知るひとでも、「エトアール通り」と言われて、すぐにはわからないかもしれない。いま西友ストアになっている場所に、その映画館はあった。1953(昭和28)年オープンしたエトアール劇場は、もともと東映の新作封切館。高円寺東映と呼ばれた時代もあったようだ。

2011年現在のエトアール通り。
西友ストアの場所に映画館があった

1958(昭和33)の高円寺エトアール通り。
右の建物が映画館の高円寺東映(エトアール劇場)とムービー山小屋。
暗渠化前の桃園川が台風22号で氾濫した様子
写真提供/エトアール通り商店会


ふたつの映画館を中心に、エトアール通りは昼の商店、夜の飲食店が混在する繁華街として、大いに栄えていった。通りの中ほどでかつては酒屋を営み、現在はセブンイレブン高円寺南店の経営者であるエトアール通り商店会会長・内藤一夫さんによると、「昔はこの通りにキャバレーも2軒あったし、1970(昭和45)年ごろには、一年のあいだに次々とスナックが開店する状況で、お得意さんが一挙に増え、角瓶やダルマの注文が相次いで商品が足りなくなったこともあったほど」の活況を呈していた。

そんなエトアール通りの雰囲気が変わっていったのは、1973(昭和48)年のオイルショックを経て、1981(昭和56)年に映画館が閉館してからのこと。時代はすでに、映画館を娯楽の殿堂の座から引きずり下ろしていたのだった。「それでも10年、15年前ぐらいまではけっこうスナックも残ってたんだけど、いまは商店会に加盟してるのが11軒。閉店のあとに入ってくるのは、古着屋ばっかりだねえ・・」という状態で、いまのエトアール通りは古着屋めぐりに精を出す若者集団と、西友で買い物する客の自転車ばかりが忙しく行き交う、味気ない通りになってしまった。夜ともなれば、「むかしは遅くまで酔っぱらいの怒鳴り声やホステスの嬌声が聞こえてきて、うるさかったよ」という内藤会長の言葉が信じられないほど、暗く静まりかえって寂しさが漂う。


いまは昼間でも人通りは多くない

パル商店街から曲がると、とたんに寂しい雰囲気

街の酒屋としてスナックの栄枯盛衰をだれよりも近くから眺めてきた内藤会長によれば、「やっぱりスナックっていう営業形態が、時代に合わなくなってきてるんじゃないかな」。安く飲みたければチェーン居酒屋があるし、カラオケはボックスのほうが手軽だ。昔からのお客さんも、そしてママさんも高齢化しているし、「いまの若い人たちは、ほかのお客さんとの会話とか、濃い人間関係が苦手でしょ」というわけで、これからもエトアール通りのスナックは減るいっぽうのようだ。


見上げればエトアール通りの表示があるが、気がつくひとは・・

ぽつりぽつりとスナックが残っている


今年55回目を迎える高円寺阿波踊りや、2月11日〜20日の期間、街の各所で開催される「第一回高円寺演芸際」http://www.koenji-engei.com/2011/にも積極的に参加するなど、エトアール通り商店会も活性化に取り組んでいるが、他の商店街と同じく、その目指すところは明るく健全な高円寺であって、もう昔のような「酔っぱらいの怒鳴り声やホステスの嬌声」が夜ごと響く歓楽街に戻ることはないだろう。いまもエトアール通りにわずかに残るスナックを飲み歩きつつ、昔日の栄光に思いを馳せてみようではないか。すべてがなくなってしまう前に。
来週は立石を飲み歩きます。

今夜の飲み歩きは、エトアール通りから北に向かう細い通りに面した『スナック ポポロ』から。外観はスナックというより、かわいらしい喫茶店の雰囲気。秋田県大館市出身の秋田美人、つや子ママにうかがってみると、「もともと喫茶店だったのを居抜きで借りてスナックにしたんです」とのこと。


喫茶店のような外観が特徴のポポロ。看板もかわいらしい。
ローマのピアッツァ・デル・ポポロ(市民広場)から名前を取ったそう


布貼りの壁が落ち着きを与える店内

ママがみずから吉祥寺で撮影した、吉永小百合のポートレートが

ポポロはおつまみも充実。乾きものは出さないこだわり。
予約すれば宴会も可能で、ママお手製の料理を並べてくれる

古風なプッシュホンが現役。うしろはもちろんママの愛犬


「最近は若者ばっかりになって、お客様への贈り物ひとつ買えない
不便な町になっちゃいましたねえ」と、高円寺の変化に嘆息気味のつや子ママ


雪国育ちのつや子ママ。「長靴にスキー板をつけて登校してた」おかげもあって、日体大に入学するため上京、スキーの滑降競技を得意種目にしていたアスリートだった。それがスナック・ママになったのは、「OLだったころに、前のママと知りあって引き継いだの」。しかし水商売はズブの素人で、お酒の値段のつけかたひとつから、「常連さんに教わって、ここまで来たんです」。それからもう30年だから、エトアール通り周辺のスナックとしてもかなりの古株だ。
スナック ポポロ 杉並区高円寺南3-49-12

エトアール通り中ほどに、観葉植物の鉢がいっぱいでポポロにおとらず優しいイメージなのが、『スナックすずらん』。内部もグリーンで統一され、壁に仕込まれたブラックライトとあいまって、幻想的な雰囲気だ。


エトアール通りに面して、よく目立つ外観

「ママは北海道出身です、油絵を描くのが大好きです・・」

グリーンで統一された店内

たまたま来店した漫画家の山根和俊氏による、ママのポートレート


子供の頃から酒飲みがキライで(酒乱ばっかで)、「なんてゆー商売なの!」と、
この仕事がものすごくイヤで誇りが持てなかったけれど、
いまは「どんと来い!」って感じです、という貴子ママ

北海道江差町出身の貴子ママは、スナック・ママ歴40年のキャリア。OLから結婚、専業主婦だったのが、子育てが一段落したところで荻窪の小さな店でママ業スタート。バブル期には荻窪南口に3軒、西荻に1軒の店を持つまでに拡大したが、長引く不景気と、「もっとこじんまりした店をのんびりやりたくなって」、33年間の荻窪生活にピリオド。7年前から高円寺でスナックを営むようになった。
店内の壁にはママの趣味である油絵が所狭しと飾られ、画廊喫茶の趣。昼間は喫茶店としても営業中で、ママご自慢の煎りたてコーヒーが350円(!)でいただける。狭苦しいカフェなんかより、ぜんぜん落ち着けますよ!
スナックすずらん 杉並区高円寺南3-48-4


カラオケ・モニターを飾るすずらんが、ブラックライトに妖しく光る

昼間の喫茶営業用のコーヒー券(10杯で1杯サービス)

切子細工が美しいグラスでお酒が飲める、珍しいお店。
雨の日には、傘の模様のグラスを出す心遣いも

多趣味のママは、陶芸もたしなむ


店内のあちこちに、お手製のコピーが


スツールに置かれた湯たんぽ! のさりげない心遣い

お店でダーツ大会も開催されている


数ある作品の内でも、愛犬の肖像画がいちばんの自信作とか

ママの油絵歴はすでに10年。店内は個展会場のようだ

店の奥には個室もある。カラオケシステムも備えられ、
ちょっとした宴会には最高



エトアール通りから、ポポロを過ぎた先にひっそり店を構えるのが『ミュージックパブ・オールディーズ』。その店名といい、店先に掲げられた「日本の曲からスタンダード、ジャズまでたくさんご用意して、お待ちしております。外国版レーザーディスクあり、音響設備も充実しております・・・例・おーい中村くん、オンリーユー(プラターズ)」というボードのメッセージに、ただならぬこだわりが見てとれる。

クラシカルな外観のオールディーズ

入口脇のボードに、マスターのこだわりがあらわれている


カウンターにソファ席で、広々とした店内。
調整の行き届いた音響もすばらしい


山口県山陽小野田市出身の谷口光二マスターは、中高生のころからフォークソングのバンドを組み、上京後はバンド活動を経て、「7年間ほど弾き語りで食べてました」という元プロ・ミュージシャン。29年前にオールディーズを開店した当初は、まだカラオケが出始めだった時代で、店で弾き語りもしていたが、接客と同時にこなすのは無理があって、カラオケを入れたそうだ。

外国曲だけを集めたレーザーディスク歌集。さすがの年季・・


レーザーのオートチェンジャーは巨大なので、2階に置いてあるそう。
響きの良さに、ふだん歌い慣れない外国曲についチャレンジしたくなる


お手洗いの壁もこのとおり。懐かしい・・

音楽を愛して、すでに開店から29年。
もちろん歌も抜群の谷口マスター

発売当時は1枚(28曲入り)で1万9800円もしたレーザーディスクを、新譜が出るたびに買い集め、「機械とあわせて1千万円はかけました」というコレクションが、いまも立派に稼働中。現代の通信カラオケより、音質も画質も、動画の内容もはるかに優れたレーザーで歌うのを楽しみに、オールディーズには歌好き、音楽好きが通いつめる。「コンピュータ(ネット)とかで宣伝はしていないけれど、やっぱりこうゆう店があることを知ってほしいです。でも50代〜60代のお客さんが集まる店だから、ムードもへったくれもなしに(カラオケボックスのように)歌われると困ります。若い方でもこんなムードの店で歌いたい、スマートで音楽センスの良いお客さんが来ていただけるとうれしいです」というマスター。ソフトな語り口のなかにも、スジの通った音楽愛がにじみ出ていて、むかしうたを歌いに通いたくなるのだ。
MUSIC PUB オールディーズ 杉並区高円寺南3-54-14