2011年2月24日木曜日

東京右半分:右半分怪人伝1 縄一代・濡木痴夢男 前編

SMという世界にほんの少しでも興味を持ったことのある人間にとって、濡木痴夢男の名はつねに伝説として、また導師としてこころにあったにちがいない。


終戦直後(昭和21年)にカストリ雑誌として創刊された、おそらく日本初のSM雑誌『奇譚クラブ』編集長・美濃村晃に導かれ、昭和28(1953)年に23歳で初作品『悦虐の旅役者』を発表。以来現在まで実に58年間、数十のペンネームを使い分け執筆した小説、記事が1000点以上。そしてその執筆作品以上によく知られる、SM縄芸術の様式美を完成させたパイオニアとして、数々の雑誌グラビア、ビデオ、DVD等のメディアで、またみずからが主宰した愛好家クラブ『緊美研』会場やプライベートの機会に、これまで縄をかけた女性が5000人とも6000人とも言い、80歳を越えた現在も活動の手をゆるめない、まさしく日本SM界の巨星である。

そのようにおびただしい作品を発表してきながら、いままで濡木痴夢男本人へのインタビューはほとんどかなわず、その人となりを知るのも容易ではなかった。これほどよく知られながら、これほどミステリアスな存在の現役作家・表現者というのも、あまり例がないのではないか。



これから3週にわたってお送りするのは、現代日本が誇る(べき)最強のアンダーグラウンド・アーティストの、波乱に満ちたライフヒストリーである。その第1回は『田端方丈記』と題して、その旺盛な活動の拠点とする、「魔窟」としか形容しようのない、しかしいままでカメラを(そして訪問者も)入れることをまったく許さなかったプライベート空間を、メディアで初めてご紹介する。それは、あまりに多彩な活動をそのまま体現した脳内宇宙であった。