2010年7月28日水曜日

東京右半分:浅草木馬館に生きる旅役者の世界 その2

ロックバンドにおける武道館のような、大衆演劇界の聖地・浅草木馬館。今月公演中である『劇団花車』の舞台と舞台裏を通して、いまに生きる旅役者の世界を覗く探訪記。後半は一座を陰からずっと支えてきた座長の奥様・夢路京母さんに、思いがけぬ半生と苦労の日々のお話をうかがった。



あたし、実はこの世界をぜんぜん知らなかったんです。母が好きだったんですよ。うちの母と、座長のお父さんの劇団にいらした『女弁慶』さんという、女の人なのに荒事がものすごく上手な女優さんがいらして、その人が天涯孤独で親戚もいらっしゃらないので、うちの母って、そういう人の面倒みさしてもらうのが大好きな人やったもんで、病気になったらうちへおいでよっていう感じだったんです。


で、一時期、うちに立ち退きとか地上げとかそういう事情があって、私が夏休み中、その女弁慶の婆ちゃんのところへ、「行っときよ」って預けられていたんです。いまでは考えられないですけれど、そのころあたしは他人と会うのが怖くて、とくに男の人と会うのなんてとっても怖くて。お母さんとふたりだったから。だから女弁慶の婆ちゃんの狭い楽屋にだけ、いたんです。そしたら座長の弟の春之助が、まだ5歳くらいやったんですけど、小さいから、どこのねえちゃんかなって、楽屋にのぞきに来て。私も子供は大好きだから、一緒に遊ぶようになって。ずっと部屋にいてもなんだから、外に出ておいでって言われて、春と一緒に喫茶店に行ったりするようになったんです。一緒にご飯食べたり。そのときに、春のお兄さん(京之助)が来て……。


そのころ座長は、お父さん(初代・姫川龍之助座長)の劇団に入ったばっかしですね。この世界に入って1年くらい。あちらが16歳、あたしは13歳でした。で、もう花形さんやったんで、ああ、優しい人やなあと思って。で、いたら、なんだかそういうふうに……好きだなって思ったんですかね。


あたしと座長は同じ若松(北九州市)の出身なんです。だからもう、全然、なんやろな、会えんでもずっと待ってましたね。一緒になる気持ちで。そう言ってもらってたんで。絶対にこの人を日本一にするためには、なにをするべきかってことばっかり考えてました。生活に対する不安は、全然なかったです。


女としての苦労はねえ……。うちの劇団の場合、というかあたしの場合ですけれど、座長たちを大切にしたいから、女がけっこう働きますね。乗り込みの荷物も女がしてます。いまは人夫さんがいますけど、それでも荷物はしますよ。それがちょっとキツくなってきて。どんなに効率よくやっても、夜の部を終えて、移動して、次のところに行って、荷物して、朝の7時にはなります。そしてその昼には、舞台開けなくちゃならない。それを毎月……いまは移動日というのができて、少しは人間らしい扱いをしてもらえるようになりましたけれど、私らは寝られんねえ……という生活をしていました。


いまは、あたしの病気のこともあって若座長が気をつかって、孫の面倒見るだけでいいような生活になりましたけれど。でもいちばん辛かったのは、座長たちには、いろんなお付き合いがある。「どこに行くの」「なにしにいくの」、これは聞いたら、いけん。タブーです。わかっているけれど、一言も口を出せない。そんなことも辛かったですねえ……。



僕らの知らないところで、いまも生きつづける、ロマンチックでドロドロで、壮絶で美しい、旅という名の人生を送るひとびと。そのライフスタイルの真実を読んでいただきたい。そして浅草木馬館にいますぐ走っていただきたい!