2011年1月5日水曜日

東京右半分:荒川区に響くタイの祈り 後編

三河島のタイ寺院、ワット・プラ・タンマガーイ東京別院訪問記。後編である今回は、日本人スタッフとタイ人僧侶、ふたりのお話をお送りする。

わたしはふだんタイに住んでいるんですが、家内がタイ人でして、1年半ぐらい日本に、日本語の勉強に来ていたんですね。それでたまたま、このお寺(東京別院)を知って、出入りするようになりまして

わたし自身は、宗教やスピリチュアルなものにはまったく興味がなかったんです。でも、家内についてお寺に通ううちに、いまは僧侶になっているここのタイ人スタッフと友人になったんですね。で、その彼がもともと東大に留学していて、もうすぐ博士号が取れるという寸前になって学校を離れて、タイに戻って出家する(坊さんになる)ことにしたというので驚いて、このお寺が提唱する瞑想とはそんなにいいものなのかと、勉強してみる気になったんです。

吉野さんによると、東京別院ができたのはもともと、別院の住職補佐であるターナブット僧侶が15、16年前に東京大学哲学科の大学院に留学、インド哲学を修めていたときに、僧服を着て世田谷の学生寮から大学に通っていたのを見たタイ人が、瞑想指導を受けに寮に来るようになったのが始まりだとか。その当時は日本にタイ寺院はひとつもなかったので、たくさんのタイ人が集まるようになったものの、すぐに寮に入りきれなくなって赤羽に瞑想所を設立。そして10年ほど前に現在の三河島のビルを購入することになったのが、別院の成り立ちだという。いま別院で瞑想指導を受け持つスネット僧侶も、10年前というからちょうどその当時に来日したベテランだ。


わたしが日本に来たのは1999年のことです。来日の4年前、大学3年生のときに出家しまして、僧侶になったんです。大学の中に仏教青年会というクラブがあって、それに2年生のときに入って、3年生で短期出家がありました。20歳でしたが、そのときにわたし、出家したんです。もともとは2ヶ月間くらいの短期だったんですけれど、続けるのかやめるのかは自分の希望(次第)なので、私は続けたいと思って。それで、珍しいことですが大学を途中でやめて、僧侶になったんですね。出家の当時はもちろん両親も友達も大反対でしたが、1年ぐらい経ってから、みんな賛成してくれるようになりました。

日本に来て、赤羽にあった瞑想所で布教活動を始めたんです。タンマガーイは、いまでもそうですが、日本人に向けてはぜんぜん布教活動をしないので、相手はもっぱら在日タイ人でしたが。わたし、そのころは日本語がぜんぜんできなかったので、日本語学校に2年間通いましたね。

(1月7日には2011年度第1回の記事がアップされます。この回をお読みになりたい方は、7日以降はサイト内の「バックナンバー」からアクセスお願いします。)