2011年1月26日水曜日

東京右半分:民謡酒場でコブシに酩酊 後編

高度経済成長期の東京を下支えした出稼ぎ労働者たちにとって、こころの拠りどころとして機能してきた民謡酒場を訪ね歩いて、『民謡酒場という青春』という本にまとめた山村基毅さん。今週は山村さんの案内で、東京右半分にいまも残る4軒の民謡酒場をハシゴしてみた。

浅草 民謡酒場・追分

浅草国際通りと言問通りの交差点から、入谷方面に歩いてすぐ、鶯色(と言うんだろうか?)の外壁がやけに目立つ<追分>は、酒場と言うより料亭のような押し出し。開業が昭和32年。東京に現存する、もっとも古い民謡酒場である。ちなみに同じ浅草の、観音温泉と同年の開業だ。そのころが、戦後の浅草の最盛期ということだろうか。


浅草 民謡の店・みどり

最盛期には20軒以上を数えた吉原の民謡酒場だが、いまも営業しているのはこの<みどり>ただ一軒である。秋田出身の民謡歌手、佐々木貞勝さんと小松みどりさんが、吉原に<みどり>を開いたのが昭和38年のこと。3年後に花園通りを挟んだ浅草側に店を移し、現在まで店を続けている。



向島 民謡の店・栄翠

かつては東京六花街という言葉があったが、いま芸者さんを呼んでお座敷遊びがまともにできるのは、東京では向島ぐらいになってしまった。そういう粋な街で、民謡好きが集まるのが<栄翠>である。



亀戸 民謡酒場・斉太郎

「エンヤートット、松島〜のっ」とやるのが斉太郎節。言わずとしれた宮城の民謡である。その宮城県出身の歌手・小島文子さんが女将を務めるのが亀戸駅裏の民謡酒場<斉太郎>。開業が昭和55年というから、ちょうど30周年を越したところだ。